桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

君と僕は日々を過ごしてく 当たり前の時間を生きてく

所属事務所のプロフィールによると、夕闇に誘いし漆黒の天使達は「コミック系ラウドバンド」である。

ベースのともやん、そして2022年11月に脱退したギターの千葉の2名がコンポーザーとして作成したトラックに、にっちがドラムを乗せる。その楽曲はただひたすらにカッコいいラウドロックだ。Youtuberが片手間にバンドやってるんでしょ?という先入観をもっている人たちが、いざ楽曲を聴いてみると彼らがいかに音楽へ対してリスペクトを持ち、真剣に向き合っているかを感じ取り魅了されてしまう。そういう例を何度も見てきた。そして何より私自身も、Youtubeの延長線上の軽い気持ちで楽曲を聴いて、バンドとしての夕闇に落ちてしまったひとりである。

 

メンバーたちの作った掛け値なしにカッコいいサウンドに、メロディと歌詞を付けるのはボーカルの小柳だ。ここに「コミック系ラウドバンド」の「コミック」の全てがある。小柳はかつてインタビューで、自身の作詞活動のことを「台なしという工程」と表現していた。

 

「作詞」じゃなくて「台なし」という工程 |Real Sound|リアルサウンド テック

 

めちゃくちゃカッコいい曲なのに寿司の曲だったり、めちゃくちゃエモい旋律なのにパチスロの曲だったり、とにかく小柳は「カッコいい」に「面白い」を上乗せしていく。「台なし」と表現しているがそれが結果的に「バカでカッコいい」という、バンドとして他にはなかなかない特性を生み出しており、巧みなライブパフォーマンスも相まって夕闇というバンドの魅力を更に大きなものにしているのは間違いない。

 

そんな夕闇が2022年にリリースしたのが「七生活」というミニアルバムだった。

タイトルに「七」が付いているとおり7曲から構成されているこのアルバムは、私達の生活がテーマとなっており、朝の曲(Good Morning Dead)から始まり、労働し(時給アップアップソング)、生きて様々なものを消費して(君のバッテリーを奪う)、そして夜を迎えて締めくくられる。

 

このアルバムをコンセプトとした全国ツアーが本当に素晴らしく、最終公演までネタバレを禁じられたほどに様々なギミックがちりばめられ、ライブ全体を通して私達の1日の生活に、ひいては人生に寄り添ってくれるような仕上がりとなっていた。

2022年9月19日、そんな最高のツアー最終公演。旧渋谷公会堂という夕闇史上最大の会場でのツアーファイナルは大成功に終わり、しかもその場で「日比谷野外音楽堂」という更に更に大規模な会場でのライブが告知され、ファンのボルテージは一気に高まった。この世の幸せを全て詰め込んだような1日だった。

 

翌9月20日

ギターの千葉が脱退すること。

11月27日の日比谷野外音楽堂でのライブは、千葉の卒業公演となることが発表された。

 

 

 

前述のとおり夕闇の楽曲の特性は「カッコいい曲にふざけた歌詞」というものだが、実は小柳の書く歌詞は「どんなにフザけていても裏テーマみたいなものが設定されている」という。本当は社会に問題提起をしていたり、人生について真面目なことを表現したりしているのだが、フザけた歌詞でそれをマスクしている。「これをわかってくれ、って直球を投げることが僕にはできないから、フザけたものに包んで郵送している」という小柳の言葉*1からも、彼の作詞に対する真摯さをうかがい知ることができる。

 

その小柳が全くフザけていない歌詞を書いたのが「七生活」の最後を締めくくる夜の曲、「忙しい夜が終わる頃に」だった。

 

歌詞が真面目なだけではない。この曲は初めて小柳が作曲もしている。メロもラウドロック特有のデスボイスを一度も使わずクリーンのみ。

「熱いMCをするタイプのボーカルではない」はずの小柳が、ライブの最後、この曲を歌う前だけは珍しく感情を乗せて語るのも異色だった。そんな熱い語りの中いちどポロっと彼は言った。

 

「夜の曲だけは、ふざけられなかった」

 

繰り返す夜の中で

終わりのない 日々を過ごしてく

爪を立てる秒針を壊してく

崩れゆく夜の果てで

いつまでも愛を探してる

この場所でまた 忙しい夜が終わる頃に

 

 

リリースイベントで小柳が解説したところによると、歌詞の中で探している「愛」とは、文字通りの愛とか恋という話ではなくて、すなわち生きる意味、みたいなものだという。

心が壊れてしまいそうな夜、辛くて辛くて先が見えないような日々、それでも愛を探して、愛を支えに生きていく。生活をテーマにしたアルバムの最後に、かつてないほどの直球で私達へ向き合ってぶつかって、ふざけずに寄り添ってくれた。

 

メンバーたちはこの曲を演奏するとき、まさにすべての魂を込めたような表情をしている。音楽に、生きるということに、真剣に向き合って、そしてこの曲を聴く全ての人に寄り添って、力の限り表現する。ライブの最後、私はいつもそんな4人を見て、なにかかみさまに祈るような気持ちになっていた。

 

この人たちがずっとこうして演奏する姿を見ていたい。こんな気持ちを与えてくれるこの人たちが、もっともっと大きくなって、もっともっとたくさんの人がこんな気持ちになれるように、なりたい、きっとなれる、そこまで一緒に行こう、きっと、かならず。

 

ツアーが終わる頃には、ファンたちにとって、この楽曲は特別な存在となっていた。

 

 

 

ツアーファイナル翌日。千葉の脱退が発表になると、そう少なくない人数のファンがこの曲を思い出したのも無理はないだろう。ただでさえ異色の直球のメロディ。直球とは言っても小柳特有の、何かを含ませたように象徴的な、すなわちいくらでも解釈のできる歌詞。

トドメはこの楽曲のなかでいちばん象徴的な、大サビ前のCメロの歌詞だった。

 

いつか此処で 27の先を観る

どんな理想を抱いても

また後悔すればいいじゃないか

意味を塗り替える君と

誰のためじゃない自分自身を

また夜が来ればいいから

 

千葉の脱退が決まってから聴くと、まるで自分の夢に向かって道を歩むことを決めた千葉の背中を押しているようにも聴こえる。千葉の卒業公演である野音ライブの日程が11/27と決まっていたこともファンの感情に拍車をかけた。

 

千葉が脱退を申し出た時期と、この楽曲の制作時期を考えるとそんなわけはないのだが、いやしかし、小柳のことだからわからない、あいつはうっかりそういうことやりかねない男だ、もしかして千葉のことを歌った曲なのか? 私達は(いい意味で)小柳のことを信用してないので、いちどそんなような気がするとそういう曲にしか聞こえなくなってきてしまった。

 

はたして、すぐに更新された小柳のインスタで真相は明らかになった。千葉が脱退を申し出てくる前には完成していた楽曲なので別にリンクさせてつくったわけではないこと。なんなら野音ライブも元々決まっていたけど結果的に卒業公演となったこと。ああそうだよね、そりゃそうだ、と納得したが、そこから続く小柳の言葉に私はうちのめされてしまった。

https://www.instagram.com/p/CiwiatjvNhB/?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==

 

 

「忙しい夜が終わる頃に」とかも別にそんなつもりで書いたつもりではないんですが、なんの因果か結びつくところが多くて、ボーカルの言霊だなーと思っています。

意味を持って書いたものが別の意味を持つことは、また曲の良さですね。(そこは自由に聴いてください)

 

小柳という人間は独裁的で頑固で難しい人なので、おまえら勝手に解釈してはしゃいでるんじゃねえよって怒鳴られることだって考えられた。

だけど小柳はファンと同じように「結びつくところが多い」と言ってくれた。作詞者自らが、結びつくよねと言ってくれて、「別の意味をもった」と、自由に聴いていいよと言ってくれたのだ。

オタクがこの曲を「千葉ちゃんのことを歌っているみたいな歌だ」と、作者の意図していなかった意味を持たせて大切にすることを、作者自らが認めてくれたのだ。こんな、こんなことあるだろうか? こんなに寄り添ってくれることが?

作者はつまりかみさまみたいなもので、かみさまに赦された、みたいな気持ちになって震えてしまった。 

 

この曲をライブで聴くとき祈りにも似た想いを抱えていたことを思い出した。ただでさえ大切だったこの曲が、この日からもっともっと何十倍も大切な、大きな意味をもった曲になった。

 

 

 

 

このブログを読んでくれているほとんどの人はジャニオタ、おおむねNEWS担だろう。

NEVERLANDで最後に自然発生した「U R not alone 」

活動再開後に初披露された「生きろ」

3人になってはじめての楽曲となった「カナリヤ」

 

NEWS担である私は、節目節目で忘れられない彼らの楽曲とパフォーマンスに触れてきて、その度にNEWSへの愛をどんどん深めていった。きっとNEWS担の多くが、各々そのような経験があると思う。

 

どうかどうか、そういう感情を知っている皆様。

夕闇に興味のないフォロワーさんも、どうか見てほしい。

これは、私にとって間違いなく、この先の人生にずっと残っていく数分間だった。

 

youtu.be

 

3000の座席があっという間に完売した日比谷野外音楽堂

 

皆が愛したギター、千葉ちゃん卒業の日。

ライブ本編最後の曲は、やはり「忙しい夜が終わる頃に」だった。

 


印象的なギターの旋律から始まるこの曲。千葉ちゃんのギターはどこかエモーショナルで哀愁のある音色で、それが本当に本当に大好きだった。

もう私はイントロから前が見えないくらい泣いていた。多分ほかのファンも皆泣いていた。

 

魂を削ってパフォーマンスをする夕闇をどうか見てほしい。

夕闇に誘いし漆黒の天使達という、ふざけたバンド名の、ふざけたカッコいい曲ばっかりのバンドが、こんなにも優しく熱く人生に寄り添ってくれるのだということを知ってほしい。

 

 

崩れゆく夜の果てで、忙しい夜が終わる頃に、私がいつまでも探しているもの。

探して見つけて追い続けて、一緒に日々を過ごしていくもの。

 

 

その1つの答えが確かにここにあるのだ。

 

 

*1:「PHY 音楽と人増刊 vol.23」小柳インタビュー