桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

祈りの記憶を記録する

通用口ギリギリまで寄せて停められたタクシーからはいくぶん離れた場所で、私たちはお行儀よく道路の端に寄り、静かに整列していた。言葉少なにファンの仲間とボソボソと言葉を交わしながら、ずっと通用口の扉を見つめて待っていた。

やがて扉が開き、彼らが出てくる。渋谷の、センター街の一番奥、という立地にそぐわないピンと張りつめた空気がその瞬間ゆらぐ。ゆらぐが物理的には誰も動かない。大きな歓声をあげる者もいない。ただ、各々の肺から震える二酸化炭素が一斉に漏れて、その呼気がゆらぎとなって渋谷の、センター街の一番奥の、無限大ホール前の道を包む。

彼らがそのホールに来るときは不思議なくらい雨が多かった。あの頃の景色を思い出すと私たちはいつも傘をさしている。傘をさして、出てきた彼らをただ見つめていると、ものの数秒で彼らを乗せたタクシーがゆっくりと走りだす。タクシーの窓の向こうで彼らが軽く会釈するのを目の端にとらえながら、私たちもまた、粛々と会釈をした。そうして、遠ざかる後ろ姿をしばらく眺めた。

あの頃の、あの風景は、まるで祈りのようだった。

 

最近、NEWSつながりで仲良くしてもらってるフォロワーさんが芸人にもハマって、無限大に行ったよ~出待ちの雰囲気がちょっとしんどかったよ、なんて話を聞かせてもらった。

無限大とは渋谷にある吉本興業の劇場である。色々な芸人が関わるが、まだブレイクする前の若手がしのぎを削る場所としての役割が主となる。「出待ち」なるものは基本的にどの劇場も禁止ではあるのだけれど、この無限大ホールは若手メインということで芸人本人が直接チケットを売ったりする場であるのに加え、一般客の出入口と芸人の通用口が同じ通りに面しているのもあって、芸人と直接話ができる文化が構築されている劇場だ。

私もかつてはここで何人かの芸人さんとお話したり、写真を撮って貰ったりした。が、自分が本当に追いかけていた人たちーーーロザンはーーー前述のようにファンと話をすることもなくタクシーで帰っていたので、私にとって無限大の「出待ち」とは、あの厳かな空気でただ黙ってお見送りをしていた風景なのだった。

 

ジャニーズからお笑いにハマった人は「距離が近い」と驚く。確かに無限大へ行けば若手の芸人さんは気さくに話をしてくれるし、ツーショットを撮ってくれるし、プレゼントも受け取ってくれる。だけどあの頃のロザンは既に若手ではなくベテランのポジションになりつつあったので、無限大ホールに来るのは若手芸人のライブを仕切るMCとしての役割の時だった。つまり出演芸人の中では別格、スペシャルゲストだ。それゆえタクシーが手配される。

ファン層に関しても、当時のロザンファンは若手芸人ファンと比べていくぶん歳をとっていた。直接しゃべりたい、などという欲は特になかった(あったとしても自制ができるだけの社会性を備えていた)し、なんなら既に別格としてタクシーが手配されているという事実を誇らしく感じていたかもしれない。なのでいくら出待ちができる会場と言えど、ただ静かに見守るスタイルだったのである。

 

夏の明け方の、高く高い空のように、ロザンという存在は、いくらファンをしていても、遠く遠い。

空を見て吸い込まれそうになってラリっちゃうみたいな心地になるように、彼らをみて呆然とその吸引力にひれ伏す。

無限大を出る彼らを、私たちは遠巻きに見つめるしかできない。息をひそめ、ちょっとでも「舞台を降りた」彼らを垣間見たくて、雨の中ただ立っている。
通用口から出てきた瞬間に、その場にいた全員が、声にならない声を飲み込む。
そっと宇治原さんに手紙を渡す者がいる。
皆はそれをただ見ている。非難するわけでもなく、我も我もと押し寄せるわけでもなく、ただ神聖なものを見るように。
誰かが「菅ちゃん!」と叫ぶ。

菅ちゃんが、にっこりわらった。


遠く遠くどこまでも遠い彼ら。(あら、チャゲアスの歌みたいになったわ)


だけど、そんな遠くの彼らの、あの笑顔が見られるだけで、
どうして
こんなにも幸せで涙すらでるんだろうね。

 

 

これは私が10年前に書いた日記からの引用だ。

そう、10年。私がロザンに出会ったのは2009年5月のことだった。

2009年5月14日にアメトークでロザンに出会い、頭の中を支配され、初めてそれをブログに書いたのは5月20日。それから1年半ほどは、ほぼ毎日ロザンのことをブログに綴っていた。

今はもうそのブログは消えてしまっているが、過去のアーカイブを引っ張り出して、ライブのレポだけでも残しておこう、と過去ログ倉庫を作ったのが2年前。当時のブログは29歳だった自分の青臭い考えや未熟な視点やめちゃくちゃだった日常も含まれているため、ライブレポ以外は残すつもりはなかった。

が、最近友達が無限大に行きはじめたこと、私自身も諸事情でまた劇場へ行く機会が増えたことで、10年前ロザンに落ちた時のことを思い出し、アーカイブを読むことが増えた。そうしたら、あの頃の景色や想いが文章として残っていることって物凄くありがたいのだなぁとしみじみ感じたのである。

アーカイブはいつ消えてしまうかわからない。それなら過去の日記まるごと、今のブログに移しておこうかなという気持ちに行き着いた。10年という節目だと気付いてしまったので。

 

というわけで、今まで数本のライブレポだけ残していたこちらの別館に、ロザンに関して書いた2009年5月からの日記を少しずつあげていくことにしました。

 

 

tounoin.hatenadiary.jp

 

改めて読むと若いなぁ、危ういなぁ、今だったらこんな表現しないなぁって文章も多くて(言うてこの時既にアラサーなのにな…)載せるの微妙なのもあるのだけど、まあその戒めとしても残しておこうかなと思うので、基本的に当時の文章を99%そのままコピペです。

 

とりあえず全てカテゴリーを付けたので、もしご覧になるロザンファンの方がいて「ライブレポだけ欲しいんじゃゴラァ」という方がいらしたら、カテゴリーから「トーク」や「向上委員会」を選んでください。日記の一部でだらだらロザンのこといってるのは全て「日記」、テレビ番組については「テレビ」と分けてあります。

 

ひとまず5月~の10日分くらいの日記と、2009年12月の営業レポだけ上げておきました。ライブレポ系はそれほど量がないので更新したら一応地味にツイートしますが、日記に関しては特に告知せず気が向いたときぬるっと増やしていくつもりです。

 

普通、過去の日記なんて燃やして捨てたい案件だよな。わざわざ残す労力を選ぶ自分。私が死んだら、この人楽しかったんだねって振りかえってもらえる材料になったらいいなーという気持ちもなくはないけど、つまり自分が自分のこと懐古したいというのが大半の目的です。だからついログも残してるしね。

 

 

さー、明日はNEWSに会いに行きます。どの気持ちも風景も、ずっと忘れないで残したいな。