桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

【「ロザンのトーク」のゲストに来た後輩芸人はブレイクする説】を検証してみた

いやー、面白かったですね、今年のM-1グランプリ。(※この記事はM-1直後にアップ予定だったためこんな書き出しになっています)

あまりきちんと観られない年の方が多いんですけど、今年はたまたま何の予定もなかったので敗者復活からじっくり視聴し、ネット配信の反省会まで完走しました。霜降り明星おめでとう! そして全ての参加芸人さん方、お疲れさまでした!

 

 

さて、私はご存知の通りロザンという芸人さんのファンなのだが、ロザンファンの間で何年か前から囁かれている都市伝説……というかジンクスのようなものがある。

それは「『ロザンのトーク』のゲストに呼ばれた後輩芸人はその後ブレイクすることが多い」というもの。

「ロザンのトーク」とは、その名の通りロザンふたりのトークライブで、2009年9月から隔月で開催されている人気公演である。2時間の公演時間中ほとんどはふたりだけのトークだが、後半30分程はロザンよりも後輩の芸人をゲストに招いて、ゲストからロザンへの質問コーナーが設けられている。

ロザンより後輩の芸人、ということで、質問の内容は「人気が出るためにはどうしたらいいか」というような相談になることも多い。その都度、先輩で実績もあるロザンから様々なアドバイスが飛び出すのだが、ずっとこのライブに通っているファンの間でいつからか「ゲストに来た芸人って、その後ことごとく売れているのでは……?」という説が囁かれるようになったのである。

しばらくはファンの間で盛り上がっていただけだったが、3年前のライブでついにロザン本人たちの口からも「このライブに来た後輩は売れる」という話題が出た。

 ※ちなみにピースの名前が出ているが、これは私の勘違いで実際にはピースはゲストに来ていない。すみません。インターネットはこうやって誤情報も混ざってるから気を付けなはれや!(責任転嫁)

 

今回のM-1覇者の霜降り明星も、2017年の8月にゲストに呼ばれている。ちょうど7月に関西で行われているABCお笑いグランプリで優勝したばかりで、芸人としての実力は既に認められつつあったがその時点では全国的な知名度はそれほどではなかったと記憶している。

M-1を見ていて、ああまたロザンのトークに来た芸人が結果だしたなぁ、というか実際どのくらいの芸人がブレイクしたのか、前々から検証したかったんだよな……と、ぼんやり考えた。

うーん、ちょっとやってみるか……。

 

 

ということで、やりました。

今までのロザンのトークでゲストに来た芸人の一覧作成。

軽いノリでリストアップすることにしたけれど、これが思ったよりめちゃくちゃ大変でした。私はロザンのトークに初回から通っているので、自分のツイートを遡ればいけるのではと考えたけど、トークの日のツイート見たら「今日も楽しかった~」だけで! ぜんっぜん! 内容を! 呟いてないことの方が多くて!! (まあ長らく、ライブの内容をDVDにしていたためおふたりからレポ禁を言い渡されていたのもあるのだけど)

なんとかかんとか、劇場の公式ツイートから引っ張り上げるなどして、今までの全ライブの情報をかき集めました。個人でやったものなので間違いもあるかもしれませんがご了承下さい。また、このあとこのリストを基にいくらか芸人さんの売れた時期について検証しますが、間違ってるぞゴルァってことがあったらご指摘頂ければ幸いです。

では、まずは以下のリストをご覧ください。

ちなみにこれをご覧の皆様にはどうでもいい情報ですが、私がライブに行けなかった回は( )内に理由を書いてあります。あと握手会があったり特筆すべきことがあったら記載しています。

 

第1回:2009.9.28 ゲストなし

第2回:2009.11.7 カラテカ

第3回:2010.2.3 平成ノブシコブシ

第4回:2010.4.18 井下好井、上海ドール

第5回:2010.6.17 サカイスト、犬の心

第6回:2010.8.26 すずらん三戸キャップ

第7回:2010.10.27 御茶ノ水男子畑中しんじろう

第8回:2010.12.8 シソンヌ猫デココ、ざしきわらし

第9回:2011.2.2 イシバシハザマ若月

第10回:2011.4.24 ものいい、ポイズンガールバンド

第11回:2011.6.8 ガリットチュウザ・パンチ

第12回:2011.10.12 ムーディ勝山5GAP、ピクニック

 

---------ここまでよしもとプリンスシアター(品川)------------

 

第13回:2011.12.9 井上マーギンナナ

第14回:2012.2.6 ボーイフレンド、ラフコントロール

第15回:2012.4.2 シューレスジョー、ゆったり感

第16回:2012.6.15 チーモンチョーチュウジューシーズ

第17回:2012.8.3 チョコレートプラネット、スパイク

第18回:2012.10.8 トレンディエンジェル囲碁将棋

第19回:2012.12.15 ブロードキャスト、マキシマムパーパーサム

第20回:2013.2.9 ロシアンモンキー、タケト (初めての欠席。自分の結婚式

第21回:2013.4.6 デニス、アームストロング

第22回:2013.6.8 ソラシド、ライス ※DVD発売記念握手会

第23回:2013.8.3 カーニバル、LLR

第24回:2013.10.6 マテンロウ田畑藤本

第25回:2013.12.7 犬の心、カナリア (欠席。Jリーグ最終節

第26回:2014.2.8 ラフコントロール、ピクニック ※大雪で来られない客続出

第27回:2014.4.27 レミングテゴネハンバーグ

第28回:2014.6.7 とにかく明るい安村、少年少女坂口、GAG少年楽団

   (8月度は単独ライブ「ロザンの14ベスト」のためトークライブはなし)

第29回:2014.10.25 しずる、グランジ

第30回:2014.12.6 佐久間一行、2700、バイク川崎バイク欠席。Jリーグ最終節)

 

---------東京よしもとの縛りがなくなる-------

 

第31回:2015.2.15 学天即、ニューヨーク ※DVD発売記念握手会

第32回:2015.4.19 横澤夏子相席スタート西村ヒロチョ

第33回:2015.6.7 パンサー、アインシュタイン(※稲田さんが水疱瘡で欠席)

第34回:2015.8.9 天津向、天竺鼠瀬下、ピスタチオ、アインシュタイン稲田

第35回:2015.10.10 フルーツポンチ、コロコロチキチキペッパーズ

第36回:2015.12.12 セルライトスパラフレクラン

第37回:2016.2.21 かまいたち ジャングルポケット (欠席。法事

第38回:2016.4.17 バンビーノ、和牛

第39回:2016.6.11 銀シャリアイロンヘッド (欠席。NEWS東京ドーム

第40回:2016.8.14 チーモンチョーチュウビーフケーキ (欠席。ももクロ

第41回:2016.10.8 井下好井、ミキ

第42回:2016.12.17 コマンダンテ、ダイタク

第43回:2017.2.11 天竺鼠トット

第44回:2017.4.12 キングコング梶原、ウーマンラッシュアワー中川、インディアンス (欠席。NEWS福岡)

第45回:2017.6.10 ライス、アキナ (欠席。NEWS東京ドーム

第46回:2017.8.5 田畑藤本霜降り明星

第47回:2017.10.7 サカイストモンスターエンジン

第48回:2017.12.9 フルーツポンチ、見取り図

第49回:2018.2.10 ネイビーズアフロジャルジャル

第50回:2018.3.31 麒麟田村、祇園 (欠席。NEWS札幌

第51回:2018.6.9 ジェラードンからし蓮根

第52回:2018.8.4 ニューヨーク、TEAM BANANA (欠席。ももクロ

第53回:2018.10.13 チュートリアル福田、マヂカルラブリー

第54回:2018.12.8 相席スタートやさしいズ

 

 

……ピックアップして驚いたけどもう54回もやってるのか!!

30回くらいまではライブの冒頭に菅さんが「で、今日は何回目ですか?笑」ってふったあと「はじめて来たよ~~って方おる?じゃあ全部来てるよ~~、って方は?」と客席に手を挙げさせるお決まりのくだりがあり、全部来てる!って手をあげられるのが嬉しかったので、初めて欠席した時の悔しさは今でも忘れません。自分の結婚式と被ったのでさすがに無理だった!! まあそれを皮切りになんやかんや9回も休んでるので、最初がのっぴきならない理由だったというのは今思えばよかったなと。

 

 脱線脱線、話を戻そう。

 

この「ロザンのトーク」はもともと、品川プリンスホテルの中に2009年に出来た「よしもとプリンスシアター」の看板ライブとして、当時東京でもぎゅんぎゅん人気が出ていたロザンが起用されていたと記憶している。2011年によしもとプリンスシアターが閉鎖することになったとき、あれは劇場専属ライブだからここまでか……と覚悟したら、ルミネtheよしもとに場を移して存続されることになったのだった。

(上記リスト内の最初の区切りはそのことである)

初回はゲストなしでロザンだけの空間だったが、2回目からは若手芸人のゲストを招くことになった。4回目からはゲスト2組(4人。ピン芸人が呼ばれた場合はトリオとのセットか、コンビ+ピン芸人+ピン芸人といったふうに人数を調整する)に落ち着き、今に至っている。

当初、ゲストに呼ぶ芸人は、東京よしもと所属の芸人という縛りがあった。大阪を本拠地としているロザンは、大阪よしもとの若手とは関わりがあるが、東京よしもとの若手のことは未知数。そこで、ロザンが絡んだことのなさそうな芸人がランダムに派遣される(たまにロザンが気になってる芸人を指名することもある)というシステムがとられていた。

上記のリストでは2015年を境として「東京よしもとの縛りがなくなる」としているが、これは公式にそのような話があったわけでなく、いつのまにか大阪よしもと所属芸人が来るようになったので「縛り、なくなったんだな~」と個人的に思った時期を表している。なのであくまで個人的見解という程度でご覧いただきたい。

 

確率としてはファンが騒いでいたほどではなかった

 

まずリストの見方であるが、

・赤……トークゲストに来てから1年以内程度で賞レースで優勝、または賞レースによって全国的な知名度を得る。もしくは、ネタ番組などでブレイクして全国的な知名度を得た芸人  

・緑……現在全国的な知名度を得ているが、トークゲストにきてからブレイクまでの期間が空いている芸人

・青……2018年時点で解散している芸人

・全国的な知名度はあるが、ゲストに来た時点で既に賞レースでの実績があったりブレイク済みの芸人は特に記載しない(例:ジャルジャル、しずるなど)

・わりと主観でいい加減に色分けしてるのであくまでざっくりとご覧下さい

 

これを踏まえてご覧いただくと、実は2015年までは、ほんの数組ブレイクしただけだったのだ。

しかしファンおよびロザンが「このライブに出た人みんなブレイクしてない!?」とはしゃいでいたのは2015年以前だったりする。それはなぜか。なぜならここまでに赤字になっている平成ノブシコブシトレンディエンジェルとにかく明るい安村コロコロチキチキペッパーズの印象が強すぎるからである。

 

平成ノブシコブシ

ゲストに来たのは2010年の2月。当時の若手のランキング(※無限大ホールにて開催されていたAGE AGE LIVE)では上位の方におり、劇場へ通う若い女の子からの人気は高かったが、テレビを見ている一般層にはほぼ無名の存在だった。

しかしこの年の秋のことである。以下Wikipediaから引用。

2010年9月28日をもってAGE AGE LIVEを卒業。同年『(株)世界衝撃映像社』の「ホームステイin部族」ロケ企画にて、平然と虫を食べたりする徳井のキャラクターが注目を集めてブレイク。『ピカルの定理』のレギュラーにも抜擢され、一般に広く認知されるようになる

 この後、ロンハーなどで吉村さんのキャラがうけてますます売れっ子になり、今ではご存じの通りたくさんのバラエティで活躍している。

余談ではあるが今年、吉村さんのバラエティでのアドリブが凄かったこと(参考:

「水曜日のダウンタウン」ノブコブ吉村がいかにスゴいか、ヤバめ素人対応をみっちり振り返ってみた - エキサイトニュース(3/5)

が話題になったが、ブレイク以前にAGE AGE LIVEでの姿を見ていたので個人的に凄く感慨かった……あれだけ空回りしていた吉村さんが立派に……(涙)

 

トレンディエンジェル

トレンディエンジェルはゲストに来た2012年10月の時点では、まだまだ売れない若手という風情だったように思う。(実際はこの頃からネタの評判がめきめき上がってきており、お笑いに詳しい人からは「そのうち賞レースで勝つのでは」という声も上がっていたが、一般的な知名度はほとんどなかったはずだ)

それがゲストに来た直後の12月、THE MANZAIの決勝進出の12組に選ばれたのを皮切りに、翌年はオンエアバトルチャンピオン、また翌年2014年にTHE MANZAI決勝に残り2位に輝く。(ちなみに、ロザンのトークトレンディエンジェルと同日にゲストだった囲碁将棋と同グループで決勝を戦い勝ち抜いた)

そして2015年、復活したM-1にて優勝を果たした。

ロザンファンである自分から見たら、トークのゲストで見た直後から、あれよあれよという間にスターダムにのしあがったというインパクトが大きかったのである。

 

とにかく明るい安村

 ヤスに関して印象が強い理由は「コンビ時代と解散後どちらもロザンのトークに来ている」という点だ。時系列にすると、

2013.4.6  コンビ(アームストロング)にて登場

2014.4.13 アームストロング解散

2014.6.7  ピン芸人とにかく明るい安村として再登場

といった流れだ。この間わずか1年2ヵ月。

2度めのゲストの時は、ピン芸人になった直後ということで、今後の芸風についてロザンに相談していたのをよく覚えている。その時はまだピンでの芸風を模索中で、高校野球のネタなどをやっていたが本人も「迷走している」「どうすれば売れるかわからない」と弱気になっており、正直見ているこちらとしても「が、がんばってね……」と心配になるような状況だった。

ところがその年の秋頃から、例の「安心してください、履いてますよ」で爆発的なブレイクを果たすのである。ほんの少し前にロザンに相談していた姿を見たばかりだったので、突然バカ売れして本当に驚いたのだった。

 

以上の3組が「トークライブに来た直後にブレイクしてたくさんTVで見るようになった」という強烈な印象を与えたことに加え、初回ゲストだったカラテカもゲスト登場後入江さんの太鼓持ち芸が広く知れ渡るようになっており、安村さんがブレイクしたこの頃には完全に「やっぱりロザンはあげメンなのでは!」という空気になったのである。そしてそれを決定付けたのがコロコロチキチキペッパーズだった。

コロチキはロザンのトークに来た翌日にキングオブコントで優勝したのである。

明日決勝やんなぁ、頑張りやぁとロザンが激励して、このあとリハがあるんで打ち上げ行けなくて残念みたいな話をしてて、そしたら翌日優勝ですわ。

 

そして冒頭のツイートはこのコロチキ事変の次の回のトークの時のものである。前回のトークの次の日にコロチキが優勝した! ヤスとかトレエンとかもゲストに来た後に売れた! とロザン本人たちも言い出したのだ。(ちなみに、関西の賞レースなので太字にはしていないが、この日のゲストのセルライトスパも半年後にABCお笑いグランプリで優勝している)

 

以上のように、来ている芸人の数に対して全国的ブレイクを果たした芸人の割合はそこまででもないものの、ブレイクした芸人のインパクトが強いことで、2015年頃にはゲスト芸人ブレイク説が定着したものと思われる。

 

 

2015年以降のゲストは続々ブレイク

さて、上記リストをご覧頂くと一目瞭然、大阪よしもとの芸人もゲストに来るようになってからはそうそうたる顔ぶれである。太字にはしていなくても見取り図など賞レースで見かけるようになった芸人も多い。

例えば今年のM-1で3年連続準優勝となり、大きな話題になった和牛。和牛がゲストに来たのは2016年4月だが、その年の12月に初めてM-1で準優勝し一気に人気が爆発した。今では吉本で一番チケットがとれない芸人となっており、もし今またロザンのトークゲストに和牛が来ることになったらチケットは瞬殺だろう。(2016年の時は普通に当日でも買えていた)

他にもミキ、そして今年のM-1優勝の霜降り明星など、相変わずロザンのトークのゲストからまもなくして賞レースで結果を残す芸人が続出している。

 

しかしこれは、近年ゲストに呼ばれるのはそもそもブレイク目前の芸人が多いことに由来しているのではないかと感じている。和牛にしても前年既にM-1決勝までは進んでいたし、銀シャリなどはゲストに来た時点であらゆる賞レースの常連であり、もう後は優勝するだけ!というような状況だった。

初期の頃は(最初のカラテカ以外は)「東京の後輩芸人」という縛りがあったのでけっこうな若手もチラホラ呼ばれており、結果的に解散したコンビも多い。(その分ブレイクのインパクトが強かったのは前述の通り)

最近はどのようにゲストを選出しているか不明だが、ほぼ同期のチュートリアル福ちゃんが呼ばれるなどもはや「後輩」という枠組みも適当になってきた感があるので、今後はより多様化していくかもしれない。

ともあれ、近年の傾向でいけば「ロザンのトークに呼ばれるような芸人は今後要チェック」と言っても過言ではないのではないだろうか。

 

 

というわけでみんな、ロザンのトークへ行こう

長々と検証……というか事実の整理をしてみたが、「ロザンのトークのゲストに来た後輩芸人はブレイクする説」については「まあまあその傾向があると言っていい」ということで纏めてみても良い結果となったように思う。そして結論としては「うん! やっぱりロザンのトークは楽しいよ!」ということである。

ロザンのトーク自体が楽しいのは勿論のこと、未来のスターを見られるかもしれないのだ。

M-1キングオブコントで新しいスターが出る度に「ああ~~○○優勝したんだね、ロザンのトークのゲストで見たことあるんだよねあのときからいつか売れるなと思ってたよ~~」なんてドヤ顔をしてみたくないですか? え? 別にどうでもいい?

まあまあ、こんな検証のことはどうでもいいので、とりあえずロザンのトークは楽しいよ! ってことだけ受け取ってくれたら大丈夫です!!

 

次回は2019年2月2日! ゲストは直前に発表になるけど誰が出るかのガチャだと思えばそれもまた楽しい! チケット好評発売中です!! そんじゃねーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

……ここからは余談のような、とはいえ一番言いたいことというか、私利私欲の吐き出し。

この記事を書こうと思ったきっかけは、今年のM-1霜降り明星が優勝して「またトークゲストが優勝したじゃーん」と思ったからなのは確かなんだけど、

「そんじゃあ和牛呼んだら次こそ和牛優勝するんじゃね!?呼ぼう!?」って思ったからだったりする。

私のTwitterをご覧の皆様はご存じだろうが、M-1以降完全に和牛にやられてしまっていて、もう冗談抜きで頭の中は和牛でいっぱい、和牛の過去映像を見るためにどんどん失う睡眠時間、眼精疲労、その他諸々、生活に支障がでまくりである。和牛見るのに忙しすぎてこのブログもなかなか書けなかった!!

そんなこんなで「うわーん、和牛ゲストに来てほしいよ~来たことないよね」って嘆きながら勢いで今までのゲストまとめたら来とるやんけ!!!!

 

えぇ……嘘でしょ……全く記憶にない……私行かなかった回……? いや行ってるじゃん嘘でしょ……あっ……バンビーノの回か!バンビーノがダンソンでブレイクしてて、でもこのままじゃ一発屋になるからどうしたらいいかってロザンに相談してて、菅ちゃんがまだまだそのままでええんちゃうみたいなアドバイスして、みんなでダンソンしてニーブラしてた回だ!! えっ……あそこに和牛いた……!? そうだツイート、わたし当日なんかツイートしてないかな!?

 社員さんがバンビーノとロザンが打ち上げしてる様子かなんかツイートしてたらしくてこれだけ言ってる。そういうことじゃねえんだ!和牛の!!感想は!!なんかなかったのか私!!……あっそうかこの頃ライブレポ禁止だったわ……そうだった……いやでも本当にバンビーノの記憶しかない……ツイート遡ったら2015年からわりと和牛のネタ気に入ってる自分がいてびっくりしたけどだったらじゃあもうちょいしっかり見とこうぜ……

って色々検索してたら、ひかりTVで配信されたその日のトークライブが大阪チャンネル(和牛好きになって即効加入したお笑い番組アプリ)で配信された様子をツイートしてる方を発見して、ひゃあ!!大阪チャンネルで見られるのか!勝訴!!って小躍りしながら見に行ったけどもう配信されてなかった……。その方のツイート今年の8月だったんだけど……期間限定だったのかな……

 

誰か……あの日の配信……保存してる方がいたら……ご連絡下さい……もっとも好きな芸人がもっとも好きな芸人のゲストに呼ばれてるのを……この目でもう1度見たい……多分見たら泣くけど…………

(※追記 後でよく見たら大阪チャンネルにありました!!!勝訴!!!!)

 

あとやっぱもう1回呼ぼう!?!? 来年の10月とかに呼ぼう!? そしたら優勝するでしょ!?!?!? ねっねっよしもとの偉い人も和牛に優勝してもらいたいよねここはロザンあげメン伝説に乗っかって、ねっねっ、お願いします!!!!

「なんでもできるよ」

日中あまりツイッターを開くことなく、Wワークをしている居酒屋のバイトへバタバタと向かった。20人の宴会が入っていたので他の店員と無駄話することもなく接客をし、団体さんが帰って一息ついたところで店長が言った。

店長「小山くん降板で落ち込んでませんか、大丈夫ですか」

私「いやいや、復帰してないだけで降板したわけじゃないので」

店長「えっ見てませんか、さっき夕方のニュースで報道されてましたよ」

 

 

そっかあ。と思った。

不思議なほど落ち着いていた。

 

 

0時近くまでバイトをして、帰り道、Twitterを遡る。

私のタイムラインは私の感性に合う人しかいないので、どの方の呟きもそうそう、そうだよねえ、って思いながら読んだ。探せばなんやかんや言ってる人もいることはわかっているけれど、わざわざ見に行く必要性も無いのでただTLを眺めていた。

TLの方々に共感しつつ、どこか現実味のないまま時間が過ぎる。思うことは山ほどある。私はなにひとつ忘れていない。あの6月のことも、そのもっと前からのことも。私は犯罪史に興味があって、今まで様々な凶悪犯罪者のことを調べてきたけれど、どんな犯罪者のエピソードを見たときよりも「人間とはおそろしいものだ」と感じた出来事だった。

全部覚えているし、この事であのときの感情を思い出してしまっている優しい方々がたくさんいたけれど、なんだかもうその気持ちについて語る気分でもない。

 

ホームページからひっそりと名前を消すだけでよかったはずだ。あるいは、ホームページ上で文書での発表でもいい。

だけどわざわざ18時以降、全国ネットになる時間帯で、ああやって藤井さんが発表をしてくれた。「このような時間をとることにお叱りもあるかもしれないが」というようなことを言っていた通り、きっと多かれ少なかれ批判は受けるのであろうことを番組は想定していながら、ああいう発表の仕方を選んだ。

紫のネクタイをして、感謝の言葉を述べる藤井さんを見たら、あぁ、私の好きな人は凄く凄く愛されていたんだなぁ、としみじみ思って、こんな状況なのにどこか嬉しさすら感じてしまった。

彼のことを全然知らない人がどんなに彼を嫌いでも、彼と8年間仕事をしてきた人たちからありあまる愛を受け取っているんだから、それが救いだし全てだ。

そう思ったらなんだかしっとりと落ち着いた気持ちになってしまって、悲しみに溢れるTLを見ながら「こういう時に泣けないもんだなあ。薄情なのかな」なんて考えたりもした。番組は永遠ではない。いずれ終わりがくる。その終わりが予定外に訪れてしまったことの悲しみはもちろんあるけれど、小山さんが積み上げてきたものの大きさを考えたら、きっとこれからも大丈夫、と思えてしまった。

 

 

番組がなくなっても、小山さんがやってきたことは消えない。小山さんがたくさんの被災地の方を勇気づけたこと、連勤をこなしながら舞台やコンサートもやったこと、全てが小山さんを形作っていて残っていく。

 

 

私には彼の魂はとても美しいものに映っている。この1年の怒濤の要素を重ねてもなお、むしろ尚更どんどん美しい人間になっているように見える。だけどそうは思えない人も勿論いるだろう。色々な色を混ぜて作っていたガラス玉が、混ぜすぎて途中から嫌いな色になってしまった、そういうこともあるだろう。前までは綺麗な色だったのに! と思っても、変化していくガラス玉なのだから仕方ない。1度手放してまた自分好みの色になるのを待つか、あるいは捨ててしまうかしかないのだ。

 

 

なんてことをつらつらと考えていたら、ある方の言葉が目に入った。デビュー頃からずっと小山さんを見てきた先輩小山担さん。お会いしたことはないけれど小山さんのことを思うとき「あの方はなんて言うだろう」と一番に気になる大好きな方。

今回のことと思われるのは、たった一言のツイートだけだった。

 

「またなにかはじめていいんだよ。なんでもできるよ」

 

これを見た瞬間、初めて涙が出た。

 

なんてやさしい言葉だろう。ずっとずっと小山さんのことを見てきたから出てくる言葉だ……と胸が詰まった。

そうだ、そうだったね。そもそもキャスターは、自分にはなにもない、と思っていた小山さんがいちから始めたことだった。24時間テレビの手話をきっかけにオファーがきて、そのチャンスを握りしめた小山さん。襟足を切って、髪を染めて、アナウンススクールに通って、新聞を読んで勉強して。キャスターになる前の、舌足らずな甘い滑舌、ちゃらくて軽くて優しくて甘いにおいがしそうなパリピの風情はほとんど消えて。(メンバーとリラックスしてると時々昔みたいになるのがかわいいけどね)

そうして自分のアイデンティティを確立した人だった。それができる人なんだったね、小山さんは。

最近の様子を見ていると、小山さんは前を向いているような気がする。受けた傷はきっと消えないだろうけど、新しい日々のほうに進もうとしているように見える。

 

小山さんはまた「なにかをはじめられる」人だ。

キャスターという経験を積み重ねた小山さんが、今度はどんなものをはじめて、どんなものを積み重ねていくんだろう。

ああ、人間の可能性はやはり未知数だ。小山さんを追いかけていたら不可抗力で人間のおそろしさを感じてしまったけど、小山さんのことを見ていると私は、やっぱり人間が大好きだなと思えるんだ。

 

これからまた新しい要素を得ていく小山さんを、私はずっと見ていきたい。

もっともっと美しくなっていく小山さんを。

 

 

味スタはケーキどころか宝箱だった

お題「NEWS15周年コンサート "Strawberry" memories」

 

「美しい恋にするよ」のBlu-rayを見て、私はNEWSに恋をした。2015年の年始のことだった。小山さんのリーダー会、コヤシゲの夜会を経て興味が抑えられなくなり、特に夜会で紹介されていたNEWSの歴史と美恋コンの映像に心を奪われ、友人のジャニオタに「あのコンサートが見てみたい」とお願いして見せてもらった。それが決定打となり今に至る。

友人には他にも色々なジャニーズの映像を見せてもらっていた。そのどれもが素敵で、好きだなぁと思っていたけれど、美恋を見たとき明らかに今までとは違う衝動に襲われた。ああ、人生を狂わせるレベルの存在に出会ってしまった。そう思った。

もしかするとあの日私は、NEWSというグループだけではなく「NEWSとファンの関係性」にも恋をしたのかもしれない。NEWSニッポンのイントロで泣き崩れる女の子の顔、真駒内で自然発生したフルスイング。恋の熱に浮き足だったまま見た10周年では、NEWSは愛しそうに、ファンのために作った愛言葉を歌っていた。

いいなぁ。と思った。私もこんなふうに愛し愛される、ファンにしかわからない空間の一員になりたいなぁ。NEWS担に、なりたいなあ。

そう思った頃にはもうどうしようもなくNEWSを好きになってしまっていた。

 

それから約3年半強。「愛し愛される空間」を実際何度も体験し、体験すればするほどまたNEWSを好きになった。「ファンにしかわからない」、俗に言う「エモい」場面にも立ち会ってきた。U R not aloneを叫ぶように歌った声、鳴りやまないNEWSコールのうねり、うずくまって泣いてしまうてごちゃんの姿。いつまでも頭をあげない小山さん。

NEVERLAND終演後、あとからあとから流れる涙を拭きもせず水道橋を歩きながら、あの日見た美恋の「中の人」にいつの間にか私もなっていたのだなぁ、とぼんやり思った。

 

全ての道程を遡れていない私

しかしながら、EPCOTIA最終日。15周年記念コンサート開催決定の報を聞き、狂喜の叫び声をあげながら私はほんのわずかの引け目を感じていた。

なんと言っても私はまだファン暦4年にも満たないド新規である。いや、愛の重さは自負しているので新規ということそのものに引け目を感じているわけではないのだが、過去の曲などをあまり知らないことは少しうしろめたい気持ちでいる。私は個人的な体質でCDを聞くのが苦手なので、今までコンサートで歌われたことのないカップリング曲は、ここ3年のものを除くとほとんど知らない。そもそもコンサートDVDも4人になるより前のものはかいつまんで見たくらいなので、歌われたことがあっても知らない曲もあると思う。(CDを聞くのが苦手なように、DVDも誰かと一緒の時でないと滅多に見られない。そして誰かと見るときは基本的に最新のDVDが発売されたタイミングなので過去のものはどうしても後回しになってしまう)

今まで参加してきたコンサートはアルバムツアーだったので、最新アルバムを聴いていればなんとかなった。しかし周年コンサートはわけが違う。今までのNEWSの歴史を全て大切に慈しみ、その過程を経ていまステージに立つ4人を祝福する場所だ。

新規だけれどNEWSを好きな気持ちは劣る気がしない。だから「15周年コンサートに参加する資格は無い」なんてことは微塵も思わないが、NEWSにとって大切な曲のイントロが流れたときに、それを知らないようなことがあったら失礼なのではないか。4人になってからのファンだけれど、4人を形作った全てを愛しく思っているからこそ、「15周年」という特別な空間へ行くことに、わずかなうしろめたさを感じていた。

 とはいえそれはあくまでほんのひとさじ程度の罪悪感で、99.9%は純粋に、ただただ楽しみだった。ツアーが終わって数ヶ月もしないうちに新しいコンサートを見られるなんて夢のようで、幸せすぎて、楽しみで楽しみで仕方がなかった。あの、魔の6月が来るまでは。

 

 

 6月のあの日、NEWSのこの先が見えない中更新したブログで、私はこんなことを書いている。

 

tounoin.hatenablog.com

 

正直いまは私も、自粛明けの味スタの想像ができない。もしevery.に戻れるとして、その復帰姿は想像できる。NEWSな2人や、少プレなんかも想像できる。

だけど味スタだけは、4人で予定通り決行できたと仮定してみても全然想像ができないのだ。お前ら声出せんのかァ~って慶ちゃんはいつものように叫べるのだろうか。その時ファンは純粋にイエーイって言えるのだろうか。大好きだったABOのウリャホイを聞いて、私は今回のことがよぎって胸が痛んだりしないだろうか。まさか謝罪して泣いたりしないだろうかそれは絶対やめてほしいでもどうしたらいいかもわからない

 

 

 every.に出る小山さんの姿を最後に見た6月7日。色々な情報をかき集め、騒動の概要が明らかになるにつれ、NEWSというグループの存続についてはさほど心配する必要がないことがわかってきた。NEWSを起用している側も商売なので、もし世間の声が大きければ動かざるを得ないことは理解できる。そのためいくつかの仕事を失うことも覚悟したが、存続してもらえた現場についてはきっとスムーズに復帰できるだろう、ということは予測できた。今までNEWSが、小山さんが築いてきたものがこの程度のことで揺らぐとは考えられなかったからである。だからあの連日のいいかげんな雑誌記事、それを受けた誹謗中傷の嵐の中でも、少プレに、NEWSな2人に、音楽番組に出演している小山さんの姿はすんなり想像できたのだ。

はたして、蓋を開けてみればevery.以外の全ての仕事はそのまま継続が決定した。それはあの6月、皆が必死にNEWSの出演継続を求める葉書やFAXを書いたことも少なからず影響していると思うが、なによりも彼らが今までそこで仕事をしてきた中で築いてきた信頼があったからこそだろう。彼らのことをTVでしか知らない「世間」がどれだけ彼らの人格を否定し蔑んでも、実際に彼らと会って仕事をしている人たちは、少なくともそんな「世間」よりもずっと彼らのことを知っていて、正当に評価しているのだ。

(個人的にはevery.に関してももう番組側としては復帰の準備は出来ているのはないかと思っている。あとは小山さんの気持ち次第なのかなと。まあこれについては妄想でしかないし今は関係ないので置いておく)

 

 

ファンとエゴと、それでもアイドルを選ぶこと

だけど、味スタは、15周年コンサートは、どうなってしまうか全然見えなかった。

 

「ファン」あるいは「ファンだったなにか」しかいない場所で、小山さんがどんな顔で、どんな風に立っているのか。想像しようとすればするほど、そこだけがぽっかり空白になって思考回路が途切れてしまう。謝罪の言葉や涙なんて見たくなかった。私がそう思うのは間違っても一部の人が言っていた「自業自得なんだから泣いたりしたら許さない」なんて感情ではなく、単純に「小山さんが辛そうにしているところを見たくない」という気持ちだった。

許さない、も、見たくない、もどちらもエゴだ。あらゆるファンのあらゆるエゴを前に、小山さんがどんな精神状態になるのだろうと想像したら「泣かないで欲しい」などとは到底言えない気持ちで、でも思ってしまって、どうしたらいいのかわからなかった。

 

それでも少しずつ日常は戻り、少プレなどで小山さんの笑顔を見られる日も増えた。

大型歌番組で歌う姿も見られるようになったが、やはりどこか遠慮がちで、言葉少なく、消えてしまいそうな空気を纏っていた。そんな中発表された新しい曲、「生きろ」。

いくらなんでもこのタイミングで、なんて曲にぶち当たってしまったのだろう。泣きそうになりながら初披露のパフォーマンスを見たら、とにかく凄すぎて言葉を失ってしまった。

 

魂を搾り出すように歌う4人の姿を見ているうちに、6月からのあらゆる感情がうねりとなって空中に舞い上がり浄化されて消えていく。

生放送の番組で頭を下げたシゲ。

いつもの柔らかい声とゆるい話のまま、Kらじを守ってくれた増田さん。

自分が矢面に立つことを承知で、いつも通りでいこうよ!と笑い飛ばしてくれたてごちゃん。

「この道を生きていくことを許してください」と宣言した、小山さんの覚悟。

 

 

小山さんがどんな風にステージに立つのかわからない。だけど「生きろ」を聞いて、私が見てきた4人の姿を思い返して、残った気持ちは「この人たちが好きだなぁ」という、ただそれだけだった。シンプルに「好きな人たちの記念日を、もうすぐ一緒にお祝いできるんだな。嬉しいな」という気持ちだけが残った。知らない曲があったら申し訳ないとか、小山さん大丈夫かな、とか全部どうでもいい。好き。早く会いたい。会って触れたい。物理的に触れなくてもこの人たちには歌がある。歌を聞けば触れるのと同じ気持ちになれる。

 

大好きだ、大好きで大切だ。

たとえ「ファン」という私たちのような生き物の存在が、あなたたちを過酷な場所に縛り付けてしまうのだとしても。あなたたちがそこを選んでくれる限り、私にできることはひとつしかない。大好きだよ、大切だよ、という気持ちを抱きしめて、一緒に年齢を重ねながら、あなたたちと一緒の時代を生きていくこと。

 

 

やっぱ君らファンタスティック!!!!

STRAWBERRYコンサート感想ブログ、というお題を借りて書いているのに、コンサート前までのことだけでずいぶんスペースをとってしまった。でも当日の気持ちを書くなら、その気持ちに至った過程も残しておきたかったのだ。そう、NEWSが15年全ての経験を経て今のNEWSであるのが愛しいように。

 

コンサート当日の出来事はたくさんの方が素敵なレポにしてくださっているので、細かいことはもういいだろう。

結論から言うと、私の小さな心配など全て杞憂でしかなかった。

前述の6月に書いたブログで私が祈ったこと。

 

きっと、慶ちゃんが戻ってきてまたNEWSが歩き出せる唯一の方法は、こんな不安なんか殴り飛ばす勢いで慶ちゃんが輝くことなんだと思う。どんなに複雑な思いで味スタに向かっても、慶ちゃんの姿を見るだけでなにもかも吹っ飛ぶくらい素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることなんだと思う。

 

だからそのためには、どんなに折れてしまっても立ち上がってほしい。NEWSでいることを諦めないでほしい。NEWS全員に、まずはNEWSを残してほしいし、あらゆる過去も蔑みも怒りも悲しみも吹き飛ばすほど輝いてほしい。

 

そんな私の祈りを軽く飛び越えて彼らは輝いていた。

初日は開演時間が大幅に押したのもあるけれど、それにしたってギューッと詰め込まれた濃密な楽曲たち。野外だからか、それとも楽曲を盛り込むことに重きを置いたからなのか、フライングなどの派手な演出はそれほどなくシンプルな構成。(と思ったけど水ドバドバ出るしBLACK FIREは炎ギャンギャンでるし、よく考えたらそこそこ派手だったかもしれない)

 

小山さんは最初からずっとニコニコしていて、かっこよくて、かわいくて、そして今まで聞いたなかで一番歌がうまくて、今まで見たなかで一番一生懸命ダンスを踊っていた。もう1曲目からわかった。あ、慶ちゃんは本気だ、って思った。本当に覚悟がある人の姿だ、って。小山さんは私が心配していたよりずっとずっと強い。強くあろうとすることのできる強さがある人だ。こんなことができるんだもん、そりゃあこの仕事してるよ、って思うしかない説得力の輝きがあった。気が付いたら何の邪念もなく慶ちゃんと一緒にABOを踊っていて、あぁ私この曲がくるの怖かったのに、そんなこと忘れさせられてたわ、すごいや、って笑ってしまった。15年も第一線で働き続けている人が「プロじゃない」わけないのだよね。当たり前のことだけど。

 

正直、NEWSのことだから今までの軌跡を思い出すようなエモエモの演出で涙涙になるのかなと思っていた。いやもちろん随所で勝手に感銘を受けて泣いたんだけど、なんだろう、すごくいい涙なんだよ、それが。悲しみとか切なさとかではなくて、とにかく純度100%の、愛しさの涙みたいな。

フルスイング、URといった過去には大きな意味と重さを持っていた曲は前半の早い段階で歌われ、いつものようにファンもめちゃくちゃ歌ったけれど、NEVERLANDと時とは確実に違う、NEWSとファンが肩を組んで笑顔で歌っているような気持ちになるURだったと思う。根本的にずーっと楽しくて幸せで、愛しさが溢れてたくさん笑い泣いていた。

 

そんな感じでぽかぽか幸せでいたら、増田さんの衣裳について4人が語る、アナザースカイ風のVTRが流れた。

メンバーカラーについての見解を語り、4年前からこの日のために考えていたことがある、と。全く予想ができなかったけど、ざわっ、と鳥肌がたったのを覚えている。

 

それぞれのメンバーカラーに身を包んだ4人が登場したとき、泣き崩れてしまった。

こんなこと考えられる増田さんって天才!……という感情ではなくて、増田さんが示した圧倒的なNEWSへの愛を真正面からくらって崩れ落ちてしまったのだ。

多分最初のピンクの時はそこまで考えていなくて、カルテットの黄色を作った辺りで思い付いたのだろうけど(後日ラジオで言ってたところによると、その通りだった)、1年に1着作ればちょうど15周年だなって思って緑と紫を何食わぬ顔をして取り入れていった増田さんの気持ちを思うと、どんなに我々がNEWSを好きでも、当人たちの愛には叶わないのかもな、なんて降参するしかない。

 

 

そしてトドメが、デビュー当時の自分へ向けたメッセージ。

てごちゃん、シゲちゃん、慶ちゃんの順に、最近の諸々をふまえたのだろうな、と思わされる言葉を紡いでいく。年齢順でも入所順でもなく最後が増田さんだったのは、おそらく6月からの騒動と無関係ではないだろうと思う。唯一なんの騒動にも関係していなかった増田さんは、長い言葉で語った3人とは対照的に、簡潔に「これからもNEWSをよろしく」という趣旨の挨拶を述べた。そして、15年前の僕へ。と前置きして、一言だけ声を発した。

「いま、幸せだよ」

 

ヒィッ、と声をあげてしゃくりあげてしまった。誰に対して、というわけではないが「見てるか!」と思った。お前ら見てるか、お前だお前。あの時増田さんのことをかわいそうだとか言ったお前らだ。他の3人に足引っ張られてかわいそう、もう解散してひとりでやった方がいいんじゃないとか散々言ってたお前ら聞いたか!

世界一やさしい声だった。あまりにもやさしい響きの「幸せだよ」という言葉が、かえって増田さんの燃えるような熱い意思を表しているように聞こえた。

騒動の最中、私は本当に悲しかった。自担である小山さんが傷付けられているのも悲しかったけれど、自担と同じように大好きな増田さんが勝手なことを言われているのも悲しかった。増田さんをなめるなよと思っていた。

そういう気持ちが、増田さんのやわらかい「幸せだよ」という声ですべて、わたあめのように溶けていく。増田さんは多くを語らないけれど、いつだってその声で、歌で、全身で気持ちを伝えてくれてきた。それがここしばらくは、かつてないほどわかりやすく、直接的に表現するようになってきているように思う。

衣装のことも、このメッセージも。増田さんの答えなのだろうなぁ。

本当に本当に増田さんはNEWSが大好きで、15周年がうれしくて、これからもずっとNEWSでいるんだなぁ。NEWSに増田さんがいてくれて、そんな増田さんを大好きになれて、本当にうれしい。

 

ちょっとボリュームの関係でてごちゃんとシゲちゃんに言及できなくて申し訳ないけど(ふたりについても書きたいこといっぱいあるんだよ! 生きろの大サビとかTシャツ再版のこととかサングラスのこととか!!)、とにかく全員それぞれの強みが存分に出ていて、素晴らしいパフォーマンスの3時間だった。なにより4人が本当にNEWSのことが大好きで、このコンサートを幸せに思ってくれていることが伝わってきたのが最高に幸せだった。

「今ここにあるファンタスティックな愛 見えるだろ」という歌詞に泣きそうになる。見えたよ、確かに見えたんだよ。

 

 

◾夜よ踊れに踊らされた夜

ところでセトリについてここまでほとんど触れてないけれど、これだけは記しておく。

完全にBYAKUYAが来そうなVTRが流れて「BYAKUYAくるぞ……くるぞ……!」とペンライトを握りしめていたら「夜よ踊れ」の文字がバーンとモニターに出て、初日の私は控えめに言っても狂ってしまった。1%も予想していなかった。どのくらい狂ってしまったかというと、見切れ席スタンド前列、というステージから一番近い位置にいたにも関わらず、驚きすぎて混乱しすぎて、2番が始まるまで生バンドで演奏していることに気づかなかったくらいだ。(そして生バンドに気付いてまた狂って死んでしまった)(待ってしかも生バンドじゃん!! て2番で叫んで同行者に「今気付いたの!?」という顔をされたことを思い出して笑う)

このブログの冒頭に私は、ファンになる以前のカップリング曲は知らないものがほとんどだと書いた。きっと私の知らない時代の、人気のカップリング曲やアルバム曲はたくさんあるだろうから、古くからのファンにとって嬉しいそういった楽曲もセトリに入ってくるのだろうな。と、1.2曲知らない曲が登場することを覚悟して会場へ入っていた。しかし終わってみれば、知らない曲はひとつもなかったのである。

もちろん古いファンにとって懐かしい曲もきちんと入っていたが、1度はコンサートで聞いたことがあるものだった。コンサートでの披露が初めてだったのはこの「夜よ踊れ」だけだった……と思う。(違っていたらご指摘下さい)

ここからは完全に勝手な妄想なのだけれど。

帰り道ぼんやりと、なぜ「夜よ踊れ」がセトリに入ったのだろう……と考えて、「きっと、私たちが思っているよりずっと、ファンのこと見てるんだなぁ」となんとなく思った。

Kらじで言っていたように夜よ踊れは本人たちも気に入っている楽曲で、それゆえ選ばれたという単純な理由かもしれないけれど、でもわざわざ周年コンサートではなくても、次のツアーでよかったはずだ。なにしろあの曲はまだ発売されたばかり、それも一連の騒動の影響でほとんどプロモーションできなかったシングルのカップリングである。15周年を祝うにはマイナーすぎやしないか。

NEWS陣営はきっとわかっていたのではないだろうか。あの2日間、味スタに集まった人の中には、何枚もBLUEを買ったり、ハッシュタグをつけて呟いたりしていたファンたちが少なからずいることを。

せっかくの新曲、しかも4年に1度のワールドカップとのタイアップという大切なシングルなのに、歌番組にも出られず番宣にも出られずほとんどプロモーションが出来なかった。だからファンたちは必死にCDを買い、Twitterを活用し、なんとか1位をもぎ取り、今まであまり意識していなかったビルボードにもランクインした。夜よ踊れはそんなファンたちの間で大人気となった楽曲だった。

思えばあの時の我々は必死だった。活動自粛という現実のなかで、なんとか明るい方向に行きたくて、自分たちに出来ることがしたくて必死だった。

「BLUE」を手に取り、「夜よ踊れ」を好きになった人たちは、間違いなくあの地獄のような6月を越えて、それでもNEWSのことが大好きなままの人たちだ。そんなファンたちへの恩返し……というほどのことではないが、喜ばせてくれようとした気持ちがきっとあったのではないかなぁと思ってしまう。そしてあの日会場へいた人たちの大半は喜んでくれる、と信じていたのではないかな、とも。

 

そうそう、会場はとてもいい雰囲気だったのだ。おそらくアンチと呼ばれる人も一定数あの中にいたのだろうし、実際、冷めた目線で見ていた人のレポもあった。とはいえ、私があの場で感じたのは、それ以上に爆発するたくさんの「好き!」という気持ちだった。揃うペンライトの海、広がる歌声。NEWSが好き、てごちゃんが、シゲちゃんが、増田さんが、慶ちゃんが、好き。楽しい。幸せ。歌いたい、歌おう!

ハッピーな感情があちらこちらで花開いていて、あの空間にいるだけで幸せになってしまうような、そんな場所だった。

 

すごく印象深かったこと。

初日、メインステージから伸びる外周の前で見ていたのだけど、オープニングで歌い終わったシゲちゃんがステージから外周に歩いてきたとき、それはそれは皆おおきな声で「シゲー!」と呼んでいた。ピタ、っと立ち止まったシゲに、更に大ボリュームで降り注ぐ「シゲーーー!!」の声。するとシゲは「そんなに呼ぶぅ?」というような表情で、それはそれは可愛くフニャッ、と笑ったのだ。

てごちゃんがいつかのコンサートで「そんなに好きぃ?」と聞いたのと同じ顔で。

その顔があまりにも可愛くて「好きー!!」という気持ちをこめてまたシゲ! と呼んだ。

シゲは更に更に困ったようにフニャッと笑って、手を振って歩いていった。

「幸せだね、俺らって」

という声が心に届いた気がした。

 

 

◾NEWSがわたしにくれたもの

初日は重い小山担と一緒に入った。6月7日、ひとりでいたら狂いそう、と私の家に転がり込んできたので朝まで寄り添って過ごした相手だ。

2日目は、4人それぞれの担当で4連した。私はいつも一緒に入る人を特に決めずにチケットを申し込むのだが、今回初めて、あらかじめ約束してチケットを取り合って連番した。

着ていく服を相談したり、せっかく4連だから文章のうちわを作ろう、って言って文面を話し合ったり。同行してくれる人たちのおかげで味スタに行く前からずっと楽しかった。

 

同じように慶ちゃんを心配していた小山担と初日に入れたこと、本当によかった。終わったあとは、慶ちゃんが元気で安心したねえって話を朝までした。

 

2日目は連番した4人と、更にフォロワーさん4人を加えて飲みに行き、居酒屋のTVでゼロを見て死に、カラオケに行って私のタブレットで小太郎スピンオフを見た。オタクが騒ぐので音量が足りなくて、マイクのボリュームを最大にしてスピーカー部分に当て続けたら、後日マイクを支えていた腕が筋肉痛になった。

カラオケに朝5時までいて、さすがにアラフォーでオール2連続は体がボロボロだったけれどまだまだ話足りなくて24時間の居酒屋に入る。

9時くらいだっただろうか。いい感じにヘロヘロになってきたら、なんだか2日間の楽しかったことが溢れてきて、ひとり語りを始めてしまった。

 

「ライブの最後にさ、花火があがったじゃん。

美恋コンみたいなお城のセットの裏から、美恋コンDVDで見て憧れてた花火があがってさ。全力で生きろ歌ったNEWSが、力が抜けたように花火を眺めてて、会場のオタクたちもみんな同じ花火を眺めててさ。

天井ど真ん中からその全体の光景を見てたら、あ~~~……宝物だなあ。って思った。この風景全部が、宝物みたいだなぁって思ったら幸せで泣けて泣けてしょうがなかったよ」

 

急にポエムを詠み始めた私の話を、みんなバカにせずしみじみ聞いてくれて、ほんとだねえ……宝物だねえ、って口々に言い合って、ちょっと涙ぐんだりした。

 

エンドロールに合わせて、歌詞があやふやなまま「生きろ」を歌ったこと。NEVERLANDの時のURみたいな、NEWSに届けたい!! って必死な気持ちではなくて、帰りがたくて居酒屋にもう1件行ってしまうような、幸せの余韻を反芻するような歌だったこと。そういう気持ちを分かち合える人たちと出会えたこと。

 

NEWSに出会ったことで見ることができた美しい景色、あたたかい気持ち、大切な人たち。NEWSは私に宝物をたくさんくれた。

あの間近で見たシゲの笑顔を思い出し、Tシャツごめんね、待っててねと言ってくれたてごちゃんの優しさを思い出し、幸せだよと言った増田さんの声を思い出し、客席へ向けて丁寧に踊る慶ちゃんの微笑みを思い出して、きっとNEWSも私たちのことを宝物だと思ってくれていたな、とふと考える。わあ凄い、自分が誰かの宝物なんだなって思えるの凄くない? めっちゃすごい。でも思えちゃう。

 

そんなに好き? 好きだよ

幸せだね、俺らって 私たちって

 

そんな会話を心と心でしたような2日間でした。

 

15周年おめでとう。

そしてこの先も20年、25年と、たくさんの幸せがあなたたちにおとずれますように。

 

 これからも、ずっと。

 

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インターネットが好きだなぁという話

初めてインターネットの人と会ったのは2001年だった。

インターネット黎明期だった90年代から2000年初頭。大学生だった私は、好きだった漫画の二次創作サイトや、当時流行していたテキストサイトなどを日々巡回していた。

当時はまだ多くの人にとってインターネットというものは「新しいもの」だったので、おっかなびっくり使っていたと思う。掲示板やチャットなどで知らない誰かと交流することはあったものの、その人たちと会うとなるとかなりハードルが高かった。だから初めてネットで知り合った人と会うことになったときは色々な友達に「大丈夫? 危なくない? なんかあったら電話しなよ?」と念をおされたのを覚えている。(ちなみに携帯電話も、ようやくほとんどの人が所持するようになってメールの文字制限がなくなった頃だった)(それまでは全角50文字しか入力できなかった)

 

初めて会ったネットの中の人たちは、アンパンマンファンの女性たちだった。当時の私は「アンパンマンの擬人化」というニッチなジャンルにハマっていて、アンパンマンの二次創作をしているサイトの掲示板に入り浸っていた。アンパンマンは毎年夏に映画が公開される。掲示板の常連みんなで、今年のアンパンマン映画を見に行こう、となったのが人生初めての「オフ会」だった。

今ふりかえってみると「いくらネットで頻繁にやりとりしていても、個人情報を明かすのはおっかないよね」というのがその時会ったメンバーの共通認識だったのだろうな、としみじみ感じる。その日私たちは、集まって映画を見て、飲みにいって、楽しいからもう一件、とカラオケに行き、アンパンマンの歌を片っ端からいれて超盛り上がって解散した。私はメロンパンナちゃんのメロメロパンチの歌を歌った。5人ほど集まったその会で、携帯番号やメアドを交換した人はひとりもいない。みんながみんなハンドルネームのまま呼び合い、それ以上の情報はなにも得ないまま、また日常に戻った。

 

ネットの人と会うの、別に掲示板でやりとりするのと変わんないな! と気が大きくなった私は、次のオフ会へ行った。当時アンパンマンと平行して熱中していたジャンル、フードファイター(大食い選手)を囲む会である。

若い方はご存じないかも知れないが、2000年初め頃に、大食い番組がブームとなり大食い選手たちがアイドル的な人気を得ていた時期があった。あるフードファイターが大好きだった私は、やはりファンの集うサイトの掲示板に入り浸り、ついにオフ会へ行ってみることになった。

 

ただ、この日のオフ会はアンパンマンの時と少し違った。現役のフードファイターを招く会だったのである。そして私以外の参加者は、いわゆる「現場に行くタイプのオタク」だった。全国各地で行われていた大食いのイベントへ、推し選手を見るために動き回っている人たち。その界隈では有名な方々で、参加者たちは皆顔見知りだったし、フードファイターたちにも認知されていた。認知されていたゆえ、本人が来てくれるという夢みたいな会が普通に行われていたのである。

テレビで見ていたある選手が目の前に表れ「まずは肩慣らしに」とマックのハンバーガーを20個食べてくれた。途中で飲み物が足りなくなって「コーラ買ってきて」と言うのでファンの方たちが買いに行き、「オマケ付けといたよーw」とコーラの他にハンバーガー5個を添えて戻ってきた。彼は苦笑いしながら普通に平らげ、そのあと彼がバイトをしているという居酒屋で宴会をし、私たちが残した宴会料理も全て彼が食べ、やはりカラオケに行って解散した。

この日はハチャメチャに楽しかった、なんならアンパンマンの時よりもノリがあう人ばかりで本当に楽しかったけれど、若干寂しさを感じたのも覚えている。私以外のオタクたちは、現場で何度も会っているし、もはや普通に仲のいい友達のようだった。この前はどこどこの大会に皆で行ったんだよ~という話を聞きながら、いいなぁ、と思った。ネットやテレビでしか見たことのない場所に、この人たちは行ってるんだなぁ、いいなぁ、と。

それでもなぜか「自分も行ってみたい」という発想がこの時の私には生まれなかった。高校大学と東京に通っていたとはいえ、通うのに3時間かかるような田舎にずうっと住んでいたからか、なにかを追っかけたりするのは違う世界の出来事のように眩しく現実感のないことだったのだ。今にして思えば、暇だけはやたらとあったし都内の友達の家を泊まり歩いたりもしていたから、追っかけようと思えば簡単に出来ていたのだけれど。当時の私はその世界を知らなかった。

 

それから数年後。社会人になり、色々あってひきこもって暮らしていた私は、漫画を買うくらいしか趣味もないような生活をしばらく送った。インターネット界隈は個人サイトからブログの時代へと推移し、かつてオフ会に参加したサイトたちも続々と閉鎖され、インターネットの人と会うこともなくなった。

そんなひきこもり生活がピークだった2006年に、のちに夫となる人に出会った。浦和レッズサポーターの夫と出会い、一緒にサッカーへ行くようになった私は、ここでようやく「現場へ行く」という世界を知ることとなる。

 

そして更に数年後、ロザンに出会った。

ロザンに出会ってからの経緯は以前に長々と書いたので割愛するが、とにかくこのことがきっかけで、私は再びインターネットと密接に関わることになった。

ロザンのことをブログに書きまくっているうちに読者が増え、「会いたいです」と声をかけてもらうことが増え、ライブに行けば誰かに会い、その輪がどんどん広がった。ライブに行きまくるものだからファン仲間とも頻繁に会うようになり、もはやロザン関係なく遊んだりするようになった。かつてフードファイターのオフ会で「いいなぁ」と羨ましく思った関係性。それを得てから私にとってインターネットはそれまでよりずっとずっと大切で、もっともっと大好きなものになったのである。

その流れの中で、私は今までのインターネット経験史上最も愛するコンテンツと出会うのだ。

 

 ◾Twitterが大好きだ

ロザンの宇治原さんが番組の企画で1日だけTwitterをやる、という情報が確定した瞬間、ロザンファンは一斉にTwitterのアカウントを取得した。もちろん既にTwitterをやっている人もいたが、基本的に年齢層が高く流行りものにすぐ食いつくタイプではない多くのロザンファンたちは、もう笑っちゃうくらい同じ日に、わかんないわかんないこれでいいの? と言い合いながらアカウントを取りお互いをフォローした。2010年1月のことである。

番組をリアタイしながら、番組のために作られた宇治原さんのアカウント(結局本当にその1日しか稼働しなかった)にリプなどを送り、祭りはあっという間に終わったが、我々ファンの日常にはそのままTwitterが組み込まれていった。

今までロザンの現場でしか会わない、むしろ現場でも会ったことのないファンの方々が、朝から夜まで誰かしらが何かを呟いている。もちろんロザンのことも呟くが他の趣味や生活のこともお話されてるのを見て、意外な共通点に気付いて盛り上がったりする。これまで「ロザンファン」としての輪郭しか見えていなかった人物像が情報量を増し、グッと色濃く実体として浮かび上がってくるような感覚が面白くて、私はすっかりTwitterが大好きになってしまった。今までインターネット黎明期から経験してきた、掲示板やmixiやブログよりもずっと適当で、好きな情報をリアルタイムで取得できて、しがらみが少なく自由なTwitterは、人間がだいすきでいいかげんな性格の私にはぴったりだったのだ。

 

実家のリビング的な感覚で毎日ダラダラとTwitterに居座っていると、オタクとの縁がずっと続いていく。ひとり、またひとりと、ロザンの沼から他の沼へとジャンルを移動するフォロワーさんが現れても、一度繋がった人のことは基本的にずっと大好きなのでリムーブすることもない。今までだったらサイトが無くなったり、ブログが閉鎖したりしてしまえば縁が途切れがちだったのが、日常の延長線上にあるTwitterのおかげでそのままネットでの付き合いは続くようになった。そうこうしているうちに、長年のフォロワーさんの影響で私はついにジャニーズに、NEWSに出会ったのである。

 

大好きなTwitterきっかけでNEWSを大好きになり、大好きなNEWSのことを大好きと言いまくっていたら、NEWSを大好きな人が集まるようになった。

ありがたいことにフォロワーが増え、実際会って仲良くしてくれる人が増え、Twitterライフはますます楽しくなった。

 

昨年からもうずっと長い間、どう考えても楽しくない話で一部Twitterが盛り上がっている。一部だったそれがヒートアップして、ついに大勢力になるまで、おめでたい私のTwitterはずうっと楽しいことしかなくて、正直そんな話があることも知らなかった。さすがに大事になったので事の経緯を調べまくってみたけれど、調べれば調べるほどバカバカしくて脱力してしまった。私の人生はおそらくもう折り返し地点くらいなので、楽しくないこと、好きじゃないことに1秒だって時間を割きたくない。仕事などの、やらなきゃいけないことに費やす時間は仕方ないけれど、好きでやってる趣味において無駄な時間を割きたくない。ただでさえ好きなもの見たいものがありすぎて時間が足りないのに!

 

というわけでどうでもいい話には興味がないので、一通り把握した後は、自分が好きなものを好き、って言うだけの今まで通りのTwitterライフを送っている。そんな私と仲良くしてくれている人は、私と同じようにおめでたいので、私のタイムラインは特に何も変わらず平和なままだ。ちなみにここ数日のタイムラインの様子はというと、手作りバター(生クリームを振って作る)作成時にふさわしいジャニ曲のセトリを皆が競って組んで、そしてバターを作成して笑っている。意味がわからないけどただひたすら楽しい日々だ。

 

とはいえ、傷付いていないのかと聞かれたら、そんなわけないでしょう、としか言いようがない。間違っても誤解をしないで頂きたいのは、私はNEWSの4人に傷つけられたなんて一ミリも思っていないということだ。私は誰かを嫌いになったり怒ったりすることがハチャメチャに苦手で、だから嫌いとか怒りの感情を表してる人を見るのも苦手である。というかその類いの感情が正確に理解できていないと言った方がいいかもしれない。「負」の感情にこんなにも怯えてしまうのは私に人間として何らかの欠落があるのかもしれないが、おそらく生い立ちとか今までの人生の積み重ねで形成された性質なのでどうしようもない。とにかく、そんな私にとって、事態を把握するためとはいえ負の感情渦巻くインターネットの大海を泳がなければならなかったのは、たたただ辛い、悲しい、苦しい、そしてバカバカしいとしか言えない時間だった。

 

それでも。インターネットで傷付いた心を救ってくれたのもまたインターネットで出会った人たちなのである。

 

morningproject.hateblo.jp

 

ちょうどメンタルがズタボロだったときにこの「小山会」が行われ、小山担の私は「正妻なのでスペシャルゲスト」として呼んで頂き、小山さんのこと、シゲちゃんのこと、てごちゃんのこと、増田さんのこと、NEWSのこと全員を大好きな人たちで寄り添い合ってハガキを書いた。みんなメンタルズタボロなのに、会ってNEWSの映像を見たらどうしたって笑顔になってしまって、ゲラゲラ笑いながらたくさんハガキを書いた。

余談だがこの日はロザンのトークライブもあって、私は小山会を一時的に抜けて新宿のルミネtheよしもとへロザンを見に行き、そしてまた終電までハガキを書くため小山会へ戻った。もう長い付き合いになるロザンファンの方々は終演後、ご飯の誘いを断って「ハガキを書きに行く」と訳のわからないことを言う私に、凄く優しい言葉をかけてくれた。誰も小山さんのことを悪く言わなかったし、ハガキを書く私をバカにしないでいてくれたし、私と同じように悲しい顔をしてくれて、あなたが好きな人なんだからきっと大丈夫だよ、と言ってくれた。

私にとってインターネットは、そこで出会った人は、かくも優しいものである。

楽しいことを分かち合い、辛いときは手を差し伸べてくれる。あるいは、遠くでそっとしておいてくれる。毎日あらゆる感情と情報が流れていく中で、どの人とどう付き合っていくか、いかようにも距離感を調整できるツール。その気楽さが本当に好きだ。

 

同調圧力」の正体は

ところでこの2ヶ月、いつものように能天気なツイートをしつつハガキを書いたりCDをたくさん買ったりしていたら、チラホラと聞こえてきた言葉がある。

「なんだか、ネガティブなことや悪いことを言っちゃいけないみたいな同調圧力を感じる」

というものだ。

 

同調圧力Twitterにいると、時々その言葉をこぼす人を目にする。

例えば2年前のNEWSのコンサート「Quartetto」の時は、セトリや演出に満足できなかった方々が「みんな褒めてばっかりで、ここが好きじゃなかったとか良くなかったとか言えない雰囲気が窮屈。同調圧力だ」と言っていた。その時と同じようなざわつきを、ここ数ヶ月も感じている人がいるように思う。

 

あくまで「Twitter上における、なにかのファンのコミュニティにおいては」という前置き付きではあるが、この「同調圧力」というものは幻だと私は考えている。

 

tounoin.hatenablog.com

 

ちょうど1年前にこちらの記事の前半部分で同じようなことを書いたので今回は長々書くのは割愛するが、調べてみると『特定の集団において、少数意見を持つものに暗黙のうちに多数派意見を強制すること』が同調圧力の定義とのことだ。なるほど、確かに直接誰かに「君の意見はおかしい!こちらに合わせろ!」と言われなくても、自分の所属しているコミュニティの大多数が自分と異なる意見を持っていたら、無言の圧力を感じることだろう。

だけどTwitterのコミュニティ、すなわち自分がフォローしている人って、自分が選んでいるんですよね、当たり前だけど。

自分の選んだ人たちの中で、自分だけが少数派だと感じてしまうようになったら、そのコミュニティ以外のところに目を向けてみればいいのではないだろうか。「少数派」と思い込んでいる意見が「多数派」であるコミュニティも、その折衷案みたいなコミュニティも、必ず存在する。そう、まさに現在の「お花畑アカ」と「愚痴アカ」のように。

Twitterなんてフォローするも外すも気楽なツールなんだから、自分が一番快適なようにカスタマイズすればいいだけの話で「圧力」なんて勝手に感じる必要はないのだ。

(だから私は別に愚痴アカの存在は否定していない。自分が選ばないコミュニティ、というだけだ)(もちろん通報対象となる差別的発言、侮辱、名誉毀損などがなければ、の話であるが)

 

とはいえ。とはいえ、だ。意見が合わなくても、それでもそのコミュニティ自体は嫌いになれないんだよ~~! ということもあるだろう。特にオフ会やらなんやらで直接会っていたり、特定の意見以外のところでは気が合うままだったり、これからも付き合いを続けていきたい相手がいるなら、尚更。

その人たちに反対する意見を言って傷付けてしまうのがこわい。その人たちに嫌われてしまうのがこわい。

 

同調圧力の正体は、あなたの優しさだ。

あなたの優しさであり、臆病さだ。

同調圧力は幻だけれど、あなたが人であり、人と関わっていきたいと考えるが故の、尊く確かな感情なのだ。

 

個人的にTwitterは、その感情を大切にしつつ、圧力から遠ざかることを両立できるツールだと考えている。

私は自分が多数派だなんて全く思っていない。むしろ少数派だろう。だからといって多数に合わせることはないし、少数派です! と自ら表明することも基本的にない。言いたかったら言うし、言いたくないことは言わない。それだけだ。「言いたいこと」と「言わないこと」の区別はわりと「これを言ったら誰か傷付くかな」という観点が入っている。言いたいけど誰か傷付けそうだからやめとこう……みたいなこともたくさんあるが、それを「圧力」とは思わない。私が言いたくないだけだ。

それと同じで見たくないツイートが時々目に入っても、それは私が見たくないだけなので「そんなツイートするな」とは思わないし、それが不条理な言いがかりなどでなければその人に幻滅することもない。ああ、私とはこれについては考えが違うんだな、と思うだけである。

 

ただ、今は本当にメンタルがフニャンフニャンなので、自分のTLに「見たくないもの」が流れてくるのを達観できる余裕がない。そのため、ここ2ヶ月ほどで本当に色々な人をミュートした。直接会ったこともあって、その人のこと自体は大好きで、これからも会いたいと思ってても、今回の件のスタンスが自分にとって辛い人たちのことはそっとミュートした。「その件については」「今は」距離を置くべきだと思うから。人と人として良い関係を続けていくために、全部が合う必要なんてないので、立ち入らないほうがいい部分は避けて好きな部分を広げていく。Twitterはそのあたりの距離感が調整できるので、やっぱり私はとても好きなのだった。

 

 

最後に。

さんざん「怒っても呆れてもいない」というようなことを言ってきた今回の諸々の件。ふわふわとしか触れていないし、この先もインターネット上で自分の考えたことを語るつもりはないが、ほんの一部だけ。

一言でまとめると「世の中には色んな世界があるからなあ」とだけ私は思った。

今までの人生経験、人脈、見てきたもの、色々なことを総合したら、そこにしか行き着かなかった。

「いい大人でお花畑の人はなにやってんだよ、若い子に、彼らがどれだけ非常識で狂ったことをしてるか教えてやるのが大人の役目じゃないのか」というようなことを言っているツイートを目にしたことがある。確かに仰る通りだ。

だけど世の中には、本当にたくさんの社会があって、仕事があって、私のようないち会社員では信じられないような「常識」の世界で生きている人がいて。どの世界の常識が正しくて、どれが正しくないかなんて、私にはどうしてもジャッジできないのだ。自分がいるこの世界以外が「おかしい」とはどうしても言い切れないのだ。

色々な世界の「常識」を、常識だからとか慣例だからで済ませていいかはまた別に議論されていくべき問題で、議論の結果変わっていくこともあるだろう。(例えば私が昔勤めていた業界は、得意先への接待が当たり前の世界だったが、現在ではルールが厳しくなりほとんど無くなっている)

ただ、自分とは違う世界で懸命に生きている人達のことを、自分の常識からは外れているからといって見下したり、バカにしたり、非難したりはしたくないなと思って私は生きている。それは、ただ暮らしているだけでは出会わないようなコミュニティの人たちと、インターネットを通じてたくさんたくさん出会って、私の知らない話をたくさん教えてもらってきたからかもしれない。

そんな私がこの件で若い世代に伝えられるのは「あなたが今いる世界だけが世界じゃないよ」ということくらいだ。

Twitterのコミュニティも、学校も、職業も、数えきれない世界がある。私たちはその多種多様な世界から自分の居場所をいつでも選ぶことができる。そして全ての世界は自分と同じ、ひとりの人間の集まりだ。そのことを忘れず、あらゆる世界に敬意をはらいたいなと個人的には考えている。

 

こう書いても言葉が足りなさすぎて、きっと私が思っていることは伝わらないし、真意とは違う風に受け取られてしまうかもしれない。誰かを傷付けてしまうかもしれないし、きっとこんなことを考えているのは少数派だろう。

だけどなんとなく書きたくなったから書いた。それ以上でもそれ以下でもなく、特別な意味もない。

 

自分の世界を広げてくれて、より愛しいものにしてくれるインターネットが、私は今日も大好きなのだった。

 

悪はどこにありますか

前回のブログで私は、今回のNEWSの一連の出来事に対しての見解は省略した。「擁護できないことも、擁護したいことも、とにかく悲しいこともある」とだけ書いた。省略したのは、単にそこを掘り下げてしまうと文章が煩雑になってしまう(ただでさえ私の文章は長いのに)からで、細かいことは改めて別エントリにするつもりだった。

そうこうしていたら追撃を受けた。正直いま、なにかを語る気持ちになれない。私は彼らに怒っても呆れてもいなくて、相変わらず好きで好きで彼らのことが心配でどうしようもないだけだ。ただこの世の悪意という悪意を浴びて胸焼けしている。辛酸を舐めすぎてゲップが出そうだ。

悪意。そう、悪意?

これは悪意なのだろうか。それともあくまで「正義」なのだろうか。「悪」を暴こうと「正義」のもと、振り下ろされている鉄槌なのだろうか。

 

 

いま私は、金八先生ファイナルを見ている。

岡本圭人演じる景浦裕也という問題児をクラスから排除しようとする生徒たちに、金八先生が「悪について」説教をするシーンを見ている。

 

いま自分の言葉でなにかを語る気持ちになれないので、この金八先生の演説をまるっと書き起こすことで、今日をとりあえず終わりにしたい。

 

 

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初めてDA PUMPを観たのが2018.6.7という日だった意味

2018.6.7のことをただつらつらと書く日記。

 

このブログを読んで下さっているジャニオタの皆様の中には、まだ10代や20代前半の方も多いだろう。最近、そのような若いフォロワーさん方にDA PUMPの話をしたら通じなくて驚愕した。でもよく考えてみたら、彼らがデビューした1997年には、いま二十歳の子は生まれてもいないので知らないのも当然なのだ。

90年代後半、安室奈美恵さんのヒットもあり、沖縄アクターズスクールという養成所出身のアーティストが一気に脚光を浴びた。SPEED、MAXなど女性グループが活躍するのと同時期に誕生した、男性4人のグループ。それがDA PUMPだった。

 

DA PUMPのデビュー当時高校生だった私は、キャッチーな楽曲とISSAの歌唱力には元から惹かれており、普通に好意をもっていた。

その好意が大きくなったのは大学1年の時。当時好きだった男がDA PUMPのあるメンバーに少し似ている、という世にもくだらない理由で録画した音楽番組の映像をひたすら見ていたら、どんどんDA PUMPのことを好きになってしまったのである。

とはいえ、当時の私は「好きなものをライブで見に行く」という発想がなかった。音楽番組に出た際に録画して何度も見るくらいしか術のない茶の間のファンだった。そうこうしているうちにグループは人数が減ったり増えたりしていき、テレビでの露出もあまりなくなり、こちらも就職、転職、結婚と人生の激動期だったのもあいまって彼らがいったいどんな活動をしているのかを知らぬまま日々は過ぎていった。

 

数年前、ふと思い立って彼らがどうしているか調べたら、なんやかんやあってメンバーは7名となり、オリジナルのメンバーはボーカルのISSAだけとなったが、1からのスタートとして全国のイオンなどのショッピングモールでライブを行っていたことを知った。動画サイトに載せられていたのは、かつて5年連続紅白に出ていたほどのグループがイオンのフリースペースで歌い踊る姿。その落差に衝撃をうけたものの、なにより衝撃だったのはそのパフォーマンスの素晴らしさだった。ボーカルISSAの声は全く衰えておらず、むしろ進化している。それを彩る超一流のダンサーたちのキレキレの踊り。オリジナルの4人を好きで、ブランクのあった私でも、この7人を見に行きたいと思わされる圧倒的な魅力があった。

DA PUMPから離れていた間に私は「ライブに行く」というスキルを身に付けた。なんなら必要以上に身に付けてなんでもかんでも軽率に見に行く尻軽さである。

いつか今のDA PUMPを見てみたいな。そう思って、しかし新曲が出ないまま、また数年が経った。

 

 

DA PUMPが3年半ぶりに新曲を出すけどジャケットがダサい。

この数年の間に「ジャニオタ」という属性まで身に付けてしまった私のTwitterに、そんな情報が入ってきたのが先月のことだった。ほどなくしてMVの映像が流れてくる。絶妙にダサいのに、尋常じゃなく上手いボーカルと印象的なダンスのその曲は、瞬く間に話題となっていった。

実はジャニオタにはハロプロのオタクを兼任している女の子が多い。ジャニオタとして仲良くしているフォロワーさんたち、しかもDA PUMPを見ていた世代ではない若い子たちが、毎日DA PUMPの新曲「U.S.A.」の話をするようになったのを見て、私の20年間の気持ちがぶわーーっと甦ってきた。

え!? リリースイベントがあるの? うわっ千葉でもやるじゃん! 仕事帰りに行けちゃうじゃん!? 行ける、行こう! やっとDA PUMPを生で見られる!!

 

そして昨日、私は初めてDA PUMPを見るべく、船橋ららぽーとへ向かったのである。

 

当初は、仕事帰りにフラッと立ち寄ろう……と思ってたのだが、私がDA PUMPを好きだったことを知っている同世代のフォロワーさんに「せっかくだから梓さんにはISSAと握手してきてほしい、20年前の梓さんのためにも」と背中を押されたことで、半休をとって優先観覧席のために並ぶことにした。

CD販売と優先席の整理券配付は16時から。イベントは18時から。

12時半過ぎに待機列に行ってみると、私の前には20~30人ほどのDA PUMPファンの方が既に並んでいた。最後尾の方に「これはDA PUMPのイベントの列ですか?」と伺うと、そうだと教えてくれて、そのまま色々と話をしてくれた。

ママ友達と来ていたその方は私と同世代で、4人時代からずっとDA PUMPを好きで、現体制のメンバーも好きで、何度かライブにも行っているという。この方が本当に本当に良い方で、そのまま4時間の長い待ち時間をずっとお話して過ごすことになったのだった。

色々と話をしている流れで「私、普段はジャニーズをメインに追いかけてるんです」とお伝えしたら、当然ではあるが「へー! どのグループですか?」と聞かれた。

 

ーーー瞬間、DA PUMPのイベントに集中しようと思って頭の隅っこの方へ追いやっていた感情を思い出して喉がヒュッとなった。

「……ちょっと昨日から世間をお騒がせしてるんですけど……NEWSです」と苦笑いしながら答えると「あぁ……今たいへんそうですね…」と返された。ああ、やはり、一般の方にも伝わっているのだ。と、また喉の奥の方が締め付けられたようになった。

 

リリイベの前日、つまりおととい、私の自担とそのシンメが文春砲をくらったことが判明した。単なる熱愛スキャンダルならいつも通りなんのダメージも食らわず無視するのみだったが、「未成年」「飲酒」「強要」とこのご時世に一番やったらまずい単語が並んでいて、情報を知った瞬間一気に血の気が引いて駅のホームで座り込んでしまった。今までのスキャンダルとはわけが違う。NEWSが、なくなってしまうかもしれない。という恐怖が全身を襲う。不安で不安で不安でどうにかなりそうな中、なんとか仕事をして、帰って倒れるように寝てしまった。

 

そんな精神状態で迎えたリリイベ当日だった。午前中仕事をしている間にポツポツと、文春ほか女性週刊紙の情報が入ってきた。蓋を開けてみれば文春はネットで流れていた情報をそのまままとめた程度の薄い記事だったし、女性週刊紙は「女性側が二十歳と偽っていたのは確か」として、同情的ですらあった。

この件についての私の考えは今ここでは詳しく述べないが、到底彼らのことを擁護できないと思う点もあるし、めちゃめちゃに擁護したい点もあるし、根本的な部分で寂しくて悲しくてむなしくてたまらなく思う点もある。ただひとつはっきり言っておきたいのは、私は4人が大好きで、4人全員が大好きで、それだけはブレることがないということだけだ。

ともあれ、本人たちが未成年と知らなかった、という事実は大きい。であれば、昨日想像してしまった最悪のシナリオは逃れられるかもしれない……と、イベントに行ったこの時点ではわずかに落ち着きを取り戻していた。

 

DA PUMPファンの方々にそんなことをポツリポツリと吐露したところ、彼女らは優しく聞いてくれて、全く責めないで、暖かい言葉をかけてくれた。そしてこう言った。

「もう私達くらいの歳になると、熱愛もどうぞどうぞって感じだし、彼らが毎日幸せで生きててくれたらそれでいいよ~ でもたまに曲だして私達の前に出てきてくれたらうれしいな! くらいの気持ちなんですよね~」

「究極、グループさえ残してくれたらいいんですよ。なにがあっても、グループさえ存在してれば、またきっと会えるから」

 

相次ぐメンバー脱退。活動休止。ISSAのスキャンダル。何年も出ない新曲。ショッピングモールでの営業回り。どことなくギクシャクしていたメンバー間。かつて一世を風靡したDA PUMPは、ここ10年以上を傷だらけの状態で歩んできた。だけどずっと「DA PUMP」という名前は残してきた。オリジナルメンバーがISSAひとりになったとき、もうこのまま看板を外した方がいいのではという声もあった中、「ISSAがいるうちはDA PUMPでいいんじゃない」と社長に言われて吹っ切れたというISSA。ISSAと新しいメンバーが残してくれたDA PUMPは、今年、ついに再ブレイクした。

 

「最近のDA PUMPは、メンバーみんなが嬉しそうで楽しそうで、長年好きだった人たちのそんな姿が見られるこの毎日が本当に幸せなんですよ。本当に、続けていてくれたからこそ見せてもらえた景色です。ありがたいです」

 

そう笑うDA PUMPファンの方の穏やかな声を聞いて、ああ、そうだ。私の願いは結局これなのだ。と思った。4人がただひたすら大好きだというだけの私の願いは、4人が幸せでいてほしいということ。4人がNEWSとして、NEWSのまま、幸せで居続けてほしいということ。それだけだ。

 

 

DA PUMPファンの方のお話で少しばかり穏やかな気持ちになったところで、いよいよ整理券配付の時間が近づいてきた。そんなタイミングで友人から「大丈夫ですか」と一言LINEが来た。文春のことかと思った私が「だいぶ落ち着いてきたよ」と返すと「え。報道今ですよね」と返事。

ざわっ。と背筋が凍り、鳥肌をたてながら震える指でTwitterを開いた。

物凄い勢いで流れていくTLと「活動自粛」の文字。

 

 

なんで今。私はいま、ようやく切り替えて、DA PUMPを見ようとしていて。

なんでこんなタイミングで。

 

一緒にいてくれたDA PUMPファンの方々がいたから、なんとか立っていられた。ひとりだったらもう帰ってしまってたかもしれない。初対面の、親切な方が目の前にいる、という状況が、なんとか私のなかの社会性を引き出して思いとどまる。

わたし、どんなテンションでイベント見たらいいんでしょう……と言ったら、大丈夫ですよ、きっと楽しめるから! 整理券うけとったら、また集合時間に会いましょうね! DA PUMP絶対かっこいいですから、きっと一瞬でも気が晴れますから! と親身になって励ましてくれた。そうだ、帰るわけにいかない。私はいま目の前のイベントを楽しむのだ。いつだってそうしてやりすごしてきたんだ。

 

 

整理券をもらって、集合時間までの一時間半の間、Twitterを追う。

処分の内容、事務所のコメント、小山さんの謝罪。ほぼ完璧な対応だったと思う。現時点での最適解だと思えたし、おかげでむしろ、前日より安心すらした。

まだ金曜日のビビットと月曜日のPONが残っており、自粛する小山さんよりある意味厳しい立場のメンバーへの心配はあるものの、最速でひとつの区切りがついたことは幸いだった。おかげでイベントが始まる頃にはだいぶ冷静さを取り戻していた。本当にevery.があって、藤井さんがいてくれてよかった。暗に復帰を信じてくれているかのような藤井さんの叱咤激励、本当にありがたかった。

 

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 DA PUMPが出てきてからは、ただひたすらに最高で、自分が想像していたものの100倍最高で、もはや最高だった以外にほとんど言葉がでない。

 

U-YEAHくんのインベーダーダンス、KIMIくんのラップ、TOMOくんのステップ、YORIくんの汗、DAICHIくんの笑顔、KENZOくんの瞳、ISSAの歌声。

 

終わって、全員と握手をした。終了時間が決まっていたからか、わりと巻きで行われていて、物凄いスピードで剥がされてしまうのでひとりひとりに合わせた声をかける余裕はなかったけど、全員に「ありがとうございました」と言って手を握ると、皆じっと目を見てにっこり笑って、両手で握手をしてくれた。

一番最後がISSAで、ありがとうの前にどうしても伝えたかったから「初めて来ました!!」と言った。ISSAは手を握ったまま目を見開いて「そうなんですか!」と言ってくれた。

「また来ます!!」

「はい!ありがとうございます!」

剥がされながらも、笑って答えてくれたISSAを目の端にしっかりととらえ、そして流れていった。

 

私よ、19歳の私よ。信じらんないかもしれないけど、あんた19年後に、ISSAと握手するんだよ。

VHSのビデオテープに録画した「We can't stop the music」を繰り返し見ながら、振り付けを覚えようとしていたかつての自分の後ろ姿を思い出して語りかける。バイトから帰った深夜2時、ルームシェアしていた同居人を起こさないよう気を付けながら、真っ暗なリビングで、最小限のボリームで何度も何度も録画を見ていたあの日の自分を抱き締めたくなる。ISSAがね、DA PUMPを続けてくれるからね、ずっとずっと後に会えるよ! って。

 

そしてその時の記憶を軽く超えてくるほど、ISSAの歌はとてつもなかった。あれだけ踊っていてあの声量でまったく揺らがぬ音程。もしかしたら過去最高に今が歌うまいんじゃないか。40歳で更に声に伸びが出てきてるってどういうことだ。

わかっている、それだけのトレーニングをしているからだ。プライベートとか平成の火野正平とかどうでもいいと思わされる、すべての邪念をねじふせる圧倒的なパフォーマンス。DA PUMPを続けてきて、これからもDA PUMPとして歌い踊り続けるために、どれだけの努力を重ねているか、見たらすぐにわかる。

 

ああ、画面越しにしか見たことのなかった人が、一歩前に出て手を伸ばせば触れる距離で歌っている。有無を言わさぬ輝きで。そうだよ、なにがあったって、パフォーマンスで魅せてくれれば、アーティストは死なない。輝くんだよ。

慶ちゃん、慶ちゃんは今年、そのフェーズに立ちつつあったよね。

誰が見てもパフォーマンスが向上していたEPCOTIAの慶ちゃん。色んな声をはねのけるほどに、輝き始めてた慶ちゃん。生まれ変わったからと言ってくれた慶ちゃん。

知ってるよ、慶ちゃんが生まれ変わったのを知ってるよ。あの姿が嘘じゃなかったこと、見たからわかってるよ。それなのに、せっかく変わっていこうとしていたのにその矢先にまた突き落とされて、今あなたの心がどれだけ折れているかを思うとこわい。

だけどパフォーマンスは嘘をつかないから。慶ちゃんがこれからまた、更なる向上と飛躍を魅せてくれれば、おのずとまたみんながついてくるから。

 

正直いまは私も、自粛明けの味スタの想像ができない。もしevery.に戻れるとして、その復帰姿は想像できる。NEWSな2人や、少プレなんかも想像できる。

だけど味スタだけは、4人で予定通り決行できたと仮定してみても全然想像ができないのだ。お前ら声出せんのかァ~って慶ちゃんはいつものように叫べるのだろうか。その時ファンは純粋にイエーイって言えるのだろうか。大好きだったABOのウリャホイを聞いて、私は今回のことがよぎって胸が痛んだりしないだろうか。まさか謝罪して泣いたりしないだろうかそれは絶対やめてほしいでもどうしたらいいかもわからない。

きっと、慶ちゃんが戻ってきてまたNEWSが歩き出せる唯一の方法は、こんな不安なんか殴り飛ばす勢いで慶ちゃんが輝くことなんだと思う。どんなに複雑な思いで味スタに向かっても、慶ちゃんの姿を見るだけでなにもかも吹っ飛ぶくらい素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることなんだと思う。

 

だからそのためには、どんなに折れてしまっても立ち上がってほしい。NEWSでいることを諦めないでほしい。NEWS全員に、まずはNEWSを残してほしいし、あらゆる過去も蔑みも怒りも悲しみも吹き飛ばすほど輝いてほしい。

 

 

慶ちゃん、シゲ、テゴマス。翔ぼうとするたび翼を折られて、もうほとほと疲れてしまっているかもしれない。特に慶ちゃん、なにもかも嫌になって自暴自棄になってもおかしくないと思う。もしかしたら諦めた方が楽になるのかもしれない。

だけどどうか諦めないでほしい。私は諦めないから。諦めないで、粛々と、毎日健やかに生活しながら、待っているから。CDを買って、葉書を出して、NEWSがNEWSとして残っていられるように、できることをとにかくしていくから。

 

 

そうして残ってさえいければ、いつか絶対あなたたちはまた輝く。

私はその景色を見るまでずっと、あなたたちを好きなまま、あきらめないよ。

 

 

 

2018.6.7

一番しんどい日に、DA PUMPが教えてくれた強い気持ち。

私の初DA PUMPがこの日だったのも、なにもかも、きっと意味のあることだったんだ。

DA PUMP、ありがとう。

 

 

NEWS、頑張ろう!!!!

 

 

みんな今こそ金八先生第6シリーズを見てくれ

シゲちゃん主演ドラマ決定おめでとう!

増田さん主演舞台決定おめでとう!!

 

やったーーーーー祭りだ!!!!!!

演技仕事ちょーーーうれしい楽しみ!!!!!!!

 

 

 

で、ここで質問なんですが、金八先生未履修の皆様、いつ見るの??? 

今でしょ!?!?!?

 

 

唐突にふた昔前のネタで煽ってしまいましたが、まだ金八先生第6シリーズ、すなわちシゲちゃんと増田さんが出演していたシーズンを見たことがないよ~という方は、ふたりの演技仕事が同時に決まったこのタイミングで見てみるの、なかなか趣があると思うんですよね。

……なんて理由をつけようとしていますが、正直以前からいつか金八のプレゼンしたいなと思っていたので個人的にいい機会だというだけです。Twitterのタイムラインで誰かが金八の話をしようものなら即リプしてしまう金八パトロールおばさんの私としては、こうやってなにかと理由をつけてひとりでも多くの人に金八を見せようとしているわけなのです。いろんな人と金八の話がしたいという私利私欲です。そんなわけで今日は金八をプレゼン、っていうかただダラダラと語ります。

 

 

■そもそも金八先生とは

 大多数の方がご存知かと思うが、金八先生とは武田鉄矢さん演じる中学国語教師・坂本金八が、学級担任をしている3年B組におこる様々な問題を解決していく学園ドラマである。

1979年から2011年までなんと32年間に渡って断続的に製作されていた。レギュラー放送は第1シリーズから第8シリーズまでの8つあり、シゲマスが生徒役として出演していたのはそのうちの第6シリーズ(2001年)である。

 

「シゲちゃんと増田さんが出てたのは知ってるけど、なかなか今から見るには腰が重くて……」という人は多いだろう。わかる。わかりみがすごい。

なぜなら金八シリーズは放映期間が10月開始の3月終了。1クール3ヶ月のことが多い連続ドラマの中では珍しい2クールでの放映なのだ。第6シリーズは全23回。そのうち3回が2時間スペシャルで、最終回は2時間半スペシャルなので、休憩無しで全部ぶっ通しで見てもざっと28時間半かかる。1日では終わらない……!

でも1日1話のペースなら1ヶ月で観終えることができるのだ。シゲちゃんのドラマ、増田さんの舞台どちらも7月なので、今から観始めれば余裕をもってそれまでに終われるのである。さあ、重い腰をあげるには今ですよ。

 

■なぜ今なのか

金八シリーズは、シゲマス共に、初めてガッツリと演技をすることになった仕事だと思う。シゲは金八以前にもちょいちょいドラマへの出演があったが、前述の通り半年間もかけて自分に与えられた役柄と向き合う機会というのはなかなか無い。今でこそたくさんの経験を経て「演じる」という技術を得ている2人だが、金八はまだ少年だった彼らが始めて演技という壁に立ち向かった時間がそのまま残されているのだ。

お世辞にも上手いとは言えないその演技は、しかし純粋で、羽化したての蝉の翅のように透き通って瑞々しく震えている。そんな少年時代の彼らの姿を見てから改めて、2018年最新バージョンの演技仕事を見たらきっと感激もひとしおなのではないだろうか。

 

■第6シリーズ

さて、第6シリーズとはどんな話だったのか。金八シリーズには「そのシリーズ放送当時の教育現場での問題点、世相をテーマにしたストーリーが作られる」という特色がある。例えば昭和50年代のシリーズでは非行や校内暴力の描写が中心となり、バブル崩壊後の第4シリーズはいじめや不登校が取り上げられた。

この第6シリーズは非常に盛りだくさんで、複数の重たいテーマが同時進行していくのが特徴だ。特に大きなテーマは2つあり、ひとつが当時ジャニーズJr.だった東新良和くんが犯罪加害者の家族を演じた「報道と人権」の問題。そしてもうひとつは、心は男性だが体が女性である人物を上戸彩さんが演じた、性同一性障害というテーマである。今でこそインターネットの普及と共に性同一性障害LGBTについての話題は一般的にも見られるようになったが、第6シリーズ放送当時の2001年はまだ今のようには情報が無かった時代である。このドラマをきっかけに性同一性障害という言葉を知ったという人も多かった。

 

またこのシリーズでは金八先生の息子・幸作が悪性リンパ腫で生死を彷徨うというストーリーもあり、前作である第5シリーズ(幸作は第5シリーズの生徒たちと同級生という設定だった)の出演者がたくさん出てくる。そのため個人的には第5シリーズと第6シリーズはシンメという捉え方をしている。もし第6シリーズを見るつもりで余力のある方は、第5シリーズから見ていただけるとより楽しめるかと思う。

ちなみに第5シリーズから演出を手がけている福澤克雄氏はあの「半沢直樹」や「陸王」の演出家の方で、福澤氏の演出の力もこのシリーズが名作と言われる所以のひとつであろう。(「金八先生の撮影中にシゲが携帯を鳴らしちゃって演出家大激怒事件」の演出家はおそらくこの方)(それがトラウマで今でもマナーモードを解除できないという話をシゲが何度かしている)

 

物語は、3年B組に成迫政則(東新くん)と鶴本直(上戸さん)という転校生がやってくるところから始まる。前述の通り、この2名それぞれの抱える問題が第6シリーズの2大テーマとして軸となっていく。

盛りだくさんの全23話の中でのシゲマスの役割を以下に紹介したい。

 

加藤成亮/長谷川賢

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ボーっとしてたら呼ばれてびっくりしたお顔。既に顔が完成されている……


愛称はハセケン。一言で表わすなら「スーパー完璧中学生」。

成績優秀、容姿端麗、父は弁護士。正義感が強く、優しく、さわやかで、誰にでも分け隔てなく接する。媚びへつらうこともなく、ダメだと思うことは友人でもはっきりと注意するような、自分の中に1本筋の通った男。あかねちゃん(平愛梨)というカワイイ彼女……もとい幼馴染もいる。

はっきり言って「こんな中3いてたまるか!!」と言いたくなるほど欠点がない人物である。

金八に出てくる生徒たちは、中学生らしくどこかに弱さや欠点を持っていることが殆どなのだが、ハセケンにはそれがほぼ無く、ひたすらに「まっすぐすこやかで、正しい」存在として描かれている。ハセケンがそういう人物であることが、この物語にとって重要な役割を果たすからだ。

 

ハセケンが深く関わることになるのは、2大テーマのうちの「鶴本直」にまつわるストーリー。直の性自認は男性だが、体は女性であるゆえ他者の理解を得られないと感じ固く心を閉ざしている。直はその名の通り真っ直ぐな心の持ち主で、卑怯な行動や不条理を許せない性質を持っているが、その正義感を攻撃的な形で表すしか術がない。そんな直が興味を持つのがハセケンだった。性同一性障害を抱えることで「自分をもつ」ことを誰よりも意識している直から見ても「正しく自分をもっている」ハセケンは、ハキハキをものを言いつつもクラスで浮くことなく、皆から慕われている。

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直のことをからかう級友を諫めるハセケン。顔が良い

 

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キレる相手に「…やろうぜ」と凄む。優等生だが戦いも辞さない正義感。あと顔が良い

 

直はハセケンと話がしてみたい、「男として」友達になってみたいと思う。そこでハセケンのメールアドレスをちょっとした仕掛けでゲットし、「yesterday」という架空の男子中学生としてメル友になるのだった。

 

ハセケンはおそらく、直にとって「こうありたい自分」の姿に近かったのかもしれないと個人的には考えている。そんなハセケンの存在と、他のクラスメートとの交流もあって直は徐々に変化していく。ここから先の展開は是非ご自身でご覧下さい。

 

 

まさにこの役は、当時のシゲに与えられるのにぴったりなものだったと思う。

このJr.時代のシゲは、かつて本人自らが1万字で「経歴はエリートです」と語っていたように、トントン拍子で仕事が与えられていた。中学受験をするから、とまさかの「受験休み」をもらったにも関わらず、青学に合格し復帰後もすぐに仕事がもらえる。そして周りからも「受かりそうだよね」と言われた金八オーディションに合格。このハセケン役で知名度も上昇し、まさにエリートコースを歩んでいたと言えるだろう。優秀でピラミッドの頂点のような存在のハセケンを演じるのには適任である。

しかしシゲはこの頃、エリートだった一方で「歌もダンスも芝居もなんにもできない」自分を自覚していたのだという。エリートコースを歩んでいるという、客観的な目線から見た自分のようなハセケンを演じる裏では、自分の実力不足を感じ葛藤していた。

金八を見た友人に「おまえの芝居だったら俺のほうがうまいと思う」と言われて本気でヘコんだこともあると1万字で語ったシゲ。

確かにね、ハセケン、セリフまわしがとってもたどたどしい。まだ少し幼さの残る声が余計に拙い印象を与える。

でも、何度も言うようにハセケンってスーパー完璧中学生なんですよ。文化祭の出し物で何をやるか大もめにモメてたクラスが、ハセケンの提案ひとつで言うこと聞いちゃったり、クラスが不穏な空気になったときにハセケンがリコーダー吹くだけでなぜか和やかムードになっちゃうくらいカリスマなんですよ。

正直このキャラ造詣を、めちゃめちゃ流暢に感情豊かに喋る人がやったら、めちゃめちゃイヤミでいけすかない野郎になってたと思うのだ。シゲの、あの時のあの演技でこそ、ハセケンというキャラはどこか不思議な空気感の、浮世離れした、憎めないキャラクターになったと思うのだ。ハセケンはこの時のこのシゲの演技だからこそ成立するキャラクターだった。これは別にファンフィルターのせいではなくて、ジャニオタになる以前から繰り返し言ってることなんだけども。

 

私のシゲとの出会いはハセケンだし、今でもしょっちゅう金八を見ているから、現在のシゲの演技に触れるとその高低差に毎回新鮮に驚いてしまう。最近だとNEWSに恋してのボイスを聞いて、そのあまりの上手さに「シゲどこでそんな青二プロの声優サンプルボイスみたいな声と演技覚えたの!?」ってなった。

どれだけトントン拍子でも自分の実力を過信することなく、冷静に客観視することができたことに加え、苦手意識をもって腐ってしまうのではなく貪欲に努力し壁を乗り越えることができたから今の演技がある。そしてずっと継続してその真摯な姿勢でいたからこそ、24テレビで得たヨシノリ先生という役への向き合い方が評価され、今回の主演に繋がったのだ。自分を客観視できる冷静さと、それを乗り越えようとする熱さを兼ね備えているシゲのことが大好きだなあ、としみじみ思う。

 

◼増田貴久/長澤一寿

 

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インナーはカラー派。顔がかわいい

金八先生には第1シリーズから「ジャニーズ事務所枠」がある。第1シリーズに出てたマッチさん、トシちゃん(田原俊彦さん)、ヨッちゃん(野村義男さん)が「たのきんトリオ」として人気が出たのが有名だが、その後のシリーズにおいてもジャニーズ事務所からは3名ずつ出演している。

(余談であるが、かつて人気が低迷していたジャニーズ事務所を救ったのが、この金八先生でのたのきんトリオの台頭だった。そういうこともあって金八シリーズは事務所にとっても長く大切にされてきた仕事なのだと思う)

この6シリーズにおいてのジャニーズ枠である成迫政則、長谷川賢はどちらも物語の中心的存在であるが、最後の一枠の長澤一寿(かずとしと読む)は、さほど目立つ生徒ではない。特に最初の方はあまりセリフも無く、どんなキャラクターなのかもいまひとつ掴みにくい存在であった。

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初セリフのシーン。嫌そうな顔もかわいい

最初のセリフのシーンは、難しい漢詩の授業を聞いて「あ~~そういうの、かったるいんだよね」と吐き捨てるというものだった。学ランの下にカラーTシャツを着ている生徒は、今までのシリーズにおいては不良枠というかちょっと反抗的な役柄が多かったので、ああなるほどこの子は不真面目なヤンキー役なのかなとこちらは考える。

しかし金八に「何がかったるいんだ?」と問われた一寿の反応はこうだ。

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「だぁって……」

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「意味わかんないもん」


……おべんきょ難しくていじけただけ?

かわいすぎでは???

 

これは私の想像だけれど、一寿は当初、ちょっと反抗的なヤンキー風味のキャラ設定だったのではないかと思っている。序盤、成迫や直が転校してきてクラス内にトラブルが起こった時も、一寿は特に誰かとつるむこともなく興味なさそうな感じで遠巻きに見ているだけである。なんとなく友情とか絆とか暑苦しいものはくだらねぇ、みたいな子なのかな? という印象だった。

だけど増田さん本人が元々持っているオーラが、圧倒的に健全そのものなのだ。増田さんの歌声が、どんな悲恋の歌を歌ってもどこか幸せの成分がまざっているように。

一寿というキャラクターは増田さんからわき出る「陽」のオーラに徐々にひっぱられていくかのように、途中からはひたすら屈託のない、素直ないい子として描かれていく。

そのキャラクターが決定付くのが第9話。三者面談で一寿は、キラキラとまっすぐな目をして、自分は自転車の選手になる。いつかツール・ド・フランスで優勝するんだ、優勝した者だけが貰えるマイヨジョーヌ(黄色いジャージ)を目指すんだ、と笑顔で語るのだ。そしてトレーニングも兼ねて自転車で新聞配達のアルバイトをしていると。

この「自転車少年」という設定によって、一寿は9話以降ちょいちょい出番が増えるようになる。ある生徒の家が家事になる事件では、ちょうど新聞配達で通りがかったためそれを目撃し、警察を呼ぶなど奮闘することに。不登校のクラスメイトと金八が一緒にいるところを通ったときは、優しく「待ってるからな」と声をかける。決して中心的人物ではないが、物語の随所に現れる一寿はストーリーテラー的な役割でもあるのだ。23話全て見終わる頃には、誰もがすっかり一寿のことを好きになっていると思う。卒業式の一寿のかっこよさ本当にやばいからマジでみんな見てくれお願い。

 

シゲとは対照的に「エリートではなかった」Jr.時代の増田さん。そんな増田さんがつかんだ金八というチャンスで与えられた役柄は、自分の好きなものを夢にしてまっすぐ進んでいく少年だった。これまた、職人気質で、アイドルの道を突き進む増田さんにぴったりの役だったなあと感じる。

 

◼3年B組

私はずっと金八を見てきたが、ずっと「金八先生が好き」とは言えなかった。教育論として肯定できるものもあればうーんと思うものもあったし、その他諸々ここでは言えない思いがあって「好き」と言ってしまうのには抵抗があった。

しかし今では「いや、これどうあがいてもドラマとしてめっちゃ好きだわ」と素直に認めている。教育がどうこうとか社会問題がどうとか、難しいことは全部すっとばしてただ学園ドラマとして見たときに、文句なく自分が一番面白く感じるタイプの作品だと気付いたからだ。

3Bには生徒が30人いる。上記ではハセケンと一寿だけを紹介したが、生徒ひとりひとりにきちんとキャラクター設定があって、そのどれもが愛しい。たくさんいる先生方も愛しい。人間が好きで、人間と人間が心を通わせる物語が好きな私は、そりゃ金八好きだわと思う。

30人もいたら誰にでもひとりくらいお気に入りの生徒が見つかるのではないだろうか。どうかこれから金八を見てみた方は、どの生徒がお気に入りになったか私に教えてください。ちなみに私が第6シリーズで大好きなのは信太宏文です。

 

半年かけて放送したドラマは卒業式で終わる。卒業式の後、金八先生は生徒ひとりひとりの名前を呼び、メッセージを送ることが定例になっている。金八が生徒へ贈るこの言葉は台本ではなく、武田氏のアドリブだ。それぞれの役柄へ贈られる言葉は、それぞれの役柄を生きた少年少女たちにもまた、贈られているように思う。

第6シリーズでは、中盤で「立志式」といって、毛筆で自分の志を書いてクラスの前で発表するというイベントがあった。金八はそれを卒業式でひとりひとりに返却し、言葉を添えた。

ハセケンと一寿が金八先生から卒業式に贈られた言葉を記して、この記事を終えようと思う。不思議とその言葉は、加藤シゲアキと増田貴久にも、ぴったりな言葉なのだ。

 

 

長谷川賢  志「上を向いて歩こう

(泣きすぎてボロボロの賢を見て)バーカおまえ、2枚目が台無しじゃねえか(笑)

上を向いて歩こう」。その通りだハセケン。辛いことがあったら青空を見上げて、瞳のなかにいつも天の青、青空の青、その青で瞳を染める人になってください。

 

長澤一寿  志「ツールドフランス制覇」

いいぞ! おまえだったらどんな坂道でもペダル漕げる! 俺はな、自転車漕いでるお前の後ろ姿が一番好きだったんだ。しっかりペダル漕げ、一寿!

 

 

 

……さあ、どうですか、見たくなってきましたか?

見たくなってきた貴方に朗報です!

来週からCS放送TBSチャンネルで再放送があります!!

 

2018.5/24(木)~6/12(火)

毎週(月~金)10:20~12:00[2話連続]

(5/31は11:10まで、6/12は12:30まで)

 

ね!! 今でしょ!!!

 

CSが映らない人はレンタルでもありますからね~!! ではでは!