桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

オッケーよなんて強がりばかりを僕も言いながら

2019年が今日で終わる。

今年は恋愛感情にふりまわされた1年だった。夫と出会って13年。結婚して6年。相変わらず仲良く暮らしているので、まさか自分がこの年になって恋とか愛だのいう感情を抱えることになるとは夢にも思わなかった。それも、話すことも触れることも出来ない相手に対して。

 

ガチ恋なんて人に話せるような感情ではなく、ただ暗く卑屈なものでしかないので、私は好きな人について公に書くことは1年間避けてきた。今後もこのスタンスは変わらない。

だけど今はなんとなく、今年1年自分の心を騒がせた感情について、今年のうちに書いておきたいな、という気分だ。あくまで自分の心を整理するため、そして「M-1敗者復活戦」という素晴らしい現場に参加できたことを忘れないため、少しだけ記しておくことにする。

 

2019年12月22日。私はM-1の敗者復活戦の会場にいた。

 

前置きとなる経緯とその時の心境については、前夜にふせったーにて記したのでそちらを貼っておく。

 

六本木ヒルズアリーナに到着すると既に開場を待つ観客でごった返していた。私のチケットの整理番号は300番代。列整理の様子を見ると800番くらいまであるようだ。今年の敗者復活戦は決勝進出経験者も複数おり、強者だらけの顔ぶれだったせいか20000人以上の応募があったという。その中の貴重な1枚が自分の手元にきた意味をかみしめる。

 

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敗者復活戦は本当に素晴らしかった。司会の陣内さんと新川優愛ちゃん、ゲストのNON STYLE石田さんとトレンディエンジェルの2人、そして前説とCMつなぎのイシバシハザマが寒いなか凄く盛り上げてくれて、なにより16組全ての芸人さんのネタが面白くて、あっという間の時間だった。

 

この真剣勝負を見届けるからには、お笑いファンとして真剣に各組のネタを評価しようと決めていたし実際そのようにしたが、それはそれとしてやはり好きな人がどうしても勝ち上がりますように、と祈っていたことは否めない。

前述のふせったーに書いた通り、今年の和牛のネタは決勝で2本セットで披露したいものだと私は読んでいて、そうすると敗者復活戦はその2本を外してくると踏んでいた。しかし、今年の和牛の持ち弾で「これをやれば確実に勝てる」と思えるものがその2本以外に想像つかないのが正直なところだった。いや、他のネタが面白くないとかそういうわけではなく、「確実に勝てる」なんて普通はありえないのだ。だけどそう思えるくらい、その2本の完成度が高かった、少なくとも私の感性においては。なので敗者復活戦に何のネタを選ぶのかが全く未知数で不安だった。

 

はたして、4組めに出てきた和牛が始めたネタは、その2本のうちの1本ーー「内見」だった。ふたりが内件ネタに入った瞬間に、私は「あ、これは決勝行ける」と確信した。勝ち上がるためのネタを選んだんだな、と。

敗者復活戦は生放送されているから、決勝にあがれたとしてもこれを2度は繰り返さないだろう。そうなると本来決勝2本目でやるはずだったネタを1本目にやるだろう。そしたらきっと最終決戦に残れるから、さて、そのときは何をやるかな?

ーーこの時点でここまで脳内シミュレーションするくらいには客席で手応えを感じていた。アドリブ一切なし、計算され尽くした4分間。これで勝てなければ今年はそういう年だったんだな、仕方ないな、と納得できる……なんて思いながら彼らを見つめた。

 

全組が終わって、本放送までの間にネットで敗者復活戦をテレビで見た人の感想をサーチする。確信はさらに深まり、強い気持ちで結果発表の会場へと戻る。

 

今年はえみくじで「敗者復活」枠が出るまで、誰が勝ち上がったのか発表されない。そのため本放送を会場のモニターで見ながら、いつでるともわからない「敗者復活」のくじを待つというシステムだった。舞台上には敗者復活戦を戦った16組の芸人たち。客席の私たちと一緒に、モニターで放送の様子を見守る。

これは私がガチ恋だからだろうが、この時間がなんだか、涙が出るほど幸せだった。大好きな芸人たちとーー大好きな人とーーまるで居間でひとつのテレビを見ているみたいな感覚。私が笑うタイミングで好きな人も笑い、放送を楽しみながらも、どこか敗者復活枠のことが気になって緊張しているのもきっと同じで、なんだか少しだけ仲間になれたような、心の距離が近付いたような……そんな甘い胸の痛みを感じていた。

 

その時は思いの外早く訪れた。出番順にして3番目。えみくじで「敗者復活」枠が出た。

 

雨の降る極寒の屋外の空気が一瞬にして沸騰した。歓声、悲鳴、静寂。そして、彼らのエントリーナンバーが呼ばれる。まわりの芸人が彼らを抱きしめる。観客にもみくちゃにされながら、彼らが、私が恋をしている人が、テレビの中へと向かって走る。残された、敗退した芸人さんたちが、頑張れ! 優勝してこい! と叫ぶ。私たちも願う。ああどうか、この人たちのぶんも、あなたが、と。お客さん! さあみんなで! ここにいるみんなで一緒に! 和牛を応援しましょう! と陣内さんが呼びかけ、興奮の渦のなか芸人も観客もひとつのモニターを眺めた。

私はこの一連の風景を生涯忘れないだろう。忘れないために今ここに書いている。まるで美しい映画を見ているような数分だった。そのまま、まるで美しい映画のような、彼らの漫才がはじまった。

「内見」だった。

 

今までずっとネタを変えてきた彼らが、敗者復活戦と同じその1本を選んだことに少しだけ驚き、同時に納得しかなくて、泣きそうになった。

やはりこの人たちは、2本をセットで披露することを選んだのだ。勝利のためか美学のためか、きっとそのいずれでもある気がする。

「内見」は、決勝戦で披露された通り、引っ越しの家選びで色々な部屋を内見に行く、という漫才だ。

そして、最終決戦に残れたら見られたであろうもう1本のネタは「引っ越し」。

内見からの引っ越し、という、続きもののようなネタだったのだ。

 

 

内見は、不動産業者である水田さんに川西さんが翻弄されながら突っ込んでいく。前半は、見る部屋見る部屋全て先住民がいる、という流れで、ショートコントが4回繰り返されるような構成だ。その区切りごと(各物件ごと)に「おじゃましました~」という共通のセリフで場面が転換する。「おじゃましました」というセリフは共通だが、水田さんだけが言う→ふたりとも言う→川西さんが水田さんに言う、という風に状況は変わりストーリーも進んでいく。その都度、マイクを挟んで舞台を縦に使う動きも新しい。

後半は変な物件を見てハードルが下がりきった川西さんが「人が住んでいない」ただその一点で、とんでもない事故物件を気に入り「いいね!」と褒め出す。ツッコミがボケへと変化する面白味。そして金縛りに合うという設定で動きがなくなるオチへの向かいかたは昨年の「ゾンビ」も彷彿とさせるような緩急のある笑いだ。

 

「引っ越し」も引っ越し業者である水田さんの奔放な提案に川西さんが翻弄される……という導入から始まるが、ストーリーが進むに従い前半の水田さんのボケが全て川西さんによって回収されていき笑いを生み出す。構造としては2017年M-1で披露した「ウエディングプランナー」によく似ている。だが「ウエディングプランナー」後半の「ツッコミである川西さんが巻き込まれた結果ボケるしかなくなる」という構図から更に進化して、引っ越しは「巻き込まれた川西さんがむしろ積極的にボケへ加担していく」という新しさがあった。オチに向かってはもはやボケ2人で畳み掛けていくようで、見終わった後はひとつのショーを見たような爽快な余韻が残る。

私は今まで一番完成度が高かったネタはウエディングプランナーだと思っていたのだけど、「引っ越し」を見た時に「また過去の自分を越えてきた……」と震えた。そして「内見」→「引っ越し」という順番でネタを披露すること、きっとそこに勝機があるのだと感じた。

 

ごく個人的な感覚だが、M-1で3位までに残ってネタを2本披露した場合、「1本めのネタの方が印象に残っている」というケースが非常に多い。まず1本目で上位3位に入らなければならないのだから当然一番強いネタを1つめに披露することになる、という理由もあるだろうし、漫才のスタイルが決まっているコンビは2本目で「同じパターンか」と思われてしまう、という理由もあるだろう。

もし今回和牛が「内見」「引っ越し」の順に2本ネタを披露できたら、まず「ひとつづきのようなテーマ」の2本目がはじまったことに視聴者は驚くだろう。私がもし何も予備知識なくフラットな気持ちでただM-1を見ていたら間違いなく「なんてオシャレなことしてくるんだこの人たち!」って震えると思う。

そしてどちらかといえば淡々とした職人技のような笑いの「内見」とくらべて、「引っ越し」は動きも熱量も大きく、よりわかりやすく勢いのある内容である。そのギャップ、ひと続きの2本目で更に笑いどころが増えること、あらゆることがアドバンテージになって高得点が狙えるのでは、と私は考えていた。ただそれにはいぶし銀のようなあの「内見」で、3位以内に入らねばならないのだった。

今年の強力な面子に加えて、3番目という早い出番順。敗者復活戦は勝利を確信していたが、これは五分五分だなと思っていた。あとはもう祈ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

脱落が決まったとき、CM中にもう1本やるんでそれ見て決めてもらってもいいですか?とボケた水田さん。のちのラジオやテレビで、やりたいことやれたから悔いはない、まあ欲を言えば2本やりたかったかな、と笑っていたふたり。

M-1が終わっても漫才師の日々は終わらない。翌日の寄席でふたりが選んだネタは「引っ越し」だった。ライブに行っていたファンの方が「昨夜の続きを見ているようだった。やりたかったことをやれて、これで本当にM-1が終わったように感じた」と呟いていて、私もなんだか救われたような気がした。

 

 

 

M-1という賞レースそのものが、本来は10年目までの若手のためのものだった。今年の顔ぶれを見てあの大会の役割が本来のものに戻りつつあるのかもしれない、と感じた。もうすでに漫才師として十分評価されていて、タレントとしても寝る間がないほど売れている彼らの居場所は、もうM-1にはなくなったのかもなあと思う。

ただただ、恋する人が「冠」をとるところを、私が見たかっただけだった。売れることよりもテレビよりもなによりも、漫才が好きで漫才のことばかり考えている人に、No.1漫才師という肩書きが与えられることを祈っていた。

 

でも、M-1後に見た彼らは、ラジオもテレビも舞台も全部すっきりとした顔で、いつも通り面白くて、楽しそうに笑っていて。私のエゴなんかどうでもよくなってしまった。

好きな人がひとつの仕事をやり遂げたこと。これからまた新しい芸人人生を進んでいくこと。片思いだからそれを見ていることしかできないのは相変わらず辛いけど、せめて見るだけでもしていたい。

28日、今年の舞台納めで彼らを見に行った。泣くほど面白い舞台だった。私の恋している人は、本当に面白い。

 

ガチ恋のことは忘れてお笑いファンとして真剣にM-1と向き合った結果、好きな人のことを芸人として何十倍も好きになったし、うっかりガチ恋も更に加速して息も絶え絶えなんだけれど、まあそれは私が耐えるしかない苦しみなので、なんとかします。

 

 

なんで急に好きな人のことを書こうと思ったのかな。ガチ恋同担拒否だから、彼の魅力なんて絶対人に言いたくなかったしこの感情は私だけのものにしたかったのに。でもなんだか、好きな人が世界から認められてほしい、そういう気持ちも確かにあったんだ。それだけ。

 

 

 

私は、2020年も、「漫才の概念のカタチそのもの」である人に、届かない恋心を抱えて生きていく。

 

オッケーよなんて強がりばかりを僕も言いながら

本当は思ってる 心にいつか安らぐときは来るか?と

小沢健二/さよならなんて云えないよ)