桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

3週間くらいのこと

Twitterのアカウントを作ってから約10年、24時間以上ツイートの間隔が開いた日は片手で収まるほどしかなかった。10年間同じアカウントで、増え続ける好きな人や趣味のこと、食べたものや見たテレビ、なにもかもごちゃ混ぜにして日常を垂れ流し続けてきた。ごちゃ混ぜなジャンルの人が集まるのでいつしかフォロワーはちょっとした企業の社員数くらいに増えたが、私が好きなものだけ集めた私のTwitterランドは、私にとってどんどん楽しいコンテンツに成長するばかりで、多分死ぬまでずっとTwitterやってんだろうな、という気すらしていた。

 

そんな自分が、1週間Twitterのアカウントを消した。私のマシュマロ(匿名メッセージサービス)には「SNSに疲れてしまった」という相談がよく来るので、もしかしたらフォロワーさんの中には、私が消えた理由をそうとらえた人もいたかもしれない。

実際はむしろ逆というか「Twitterが楽しすぎるのでいったん離れた」と言ったほうが正確である。SNSというか、シンプルに人生そのものに疲れていたのだ。

 

10月中旬頃から、NEWSもお笑いも仕事も全然関係ないところでメンタルを削られていた。まあ端的に言えば金銭的な問題で追い込まれていたのである。と言ってもこのブログで

限界遠征記 を書いた時ほど物理的な窮地に立たされているわけではない。無職だったこの頃と比べて収入は(少ないながら)安定している。しかし、諸々の事情で「趣味や交際にかかる費用を一切絶ちきらねばならない」という精神状態に陥っていたのだった。

もともと削れるものは極力削ってきた。化粧品は全てプチプラだし服はコンサートの時に1着買い足すくらいで、普段は友人が捨てようとしてるものをもらってきて何年も着ている。毎月、各種支払いで残るわずかなお金を、趣味を含めた交際費に当てていた。

それを全て無くさねばならない、と思った。

まずは「11月は誰とも会わない(飲み会に参加しない)」と決めた。そして外の飲み会だけでなく、家で飲むのもやめた。私も夫も毎晩飲むので酒は家計で購入しているが、飲まない分だけは生活費の負担を減らしてもらおうという思惑ゆえである。酒を飲まないなら飯も特に必要ないので、夕飯そのものをなくした。

仕事から帰ると20時半過ぎ。今まではそこからダラダラ食べて飲んで深夜2時過ぎまでテレビを見て過ごしていたが、飲まないし食べないならリビング(テレビも食卓も全てここにある)にいる気も起きない。私は酒を飲むと眠くなるどころかどんどん元気が出ていつまでも起きていられるのだが、飲まないと普通に眠くなって毎日22時には寝るようになった。22時に寝て7時に起きて仕事に行き、20時半に帰宅し風呂に入り22時に寝る。毎日がこの繰り返しとなった。

Twitterをフォローしてくれている方はご存知の通り、私は24時間ほぼいつでもTwitterに住んでいて「いつ寝てるんですか」と定期的に突っ込まれていたし実際平日はあまり寝ていなかったのだが、1日9時間寝るようになったのでこりゃ健康にいいや、と最初は思っていた。

が、健康にいいどころか、みるみるうちに弱っていってしまったのである。

夕飯を食べないことそれ自体はさほど苦痛ではないし、たっぷりの睡眠で肉体的には元気なはずなのに、疲れがとれない。寝ても寝ても眠い。というか何も見る気になれず何も楽しいこともなく、起きていても楽しくないから寝るしかなかった。

朝の通勤時間と就寝前のわずかな時間だけTwitterをのぞくが、テレビも見ていないし情報も追っていないので気持ちのエンジンがかかるまでに時間がかかる。それでもタイムラインを眺めていると、私の好きなフォロワーさんたちがそれぞれの好きなものについて楽しそうに発信していて、心を動かされたりもした。ああ、美味しそうなお店だな行ってみたいな、素敵な場所だな行ってみたいな、NEWSのことをみんなで語りたいな、オタクと遊びたいな。

そうして心が動かされる度「いや、今月誰とも会わないって決めたんだった」と思い出す。私は楽しいことを発見したらそれを直接見に行きたくなり、共有できる友人と会いたくなってしまう。だけど交際費を減らしたいなら人と会うのをやめるしかないのだ。

会いたくなってしまうからTwitterを見ることも減らした。心は更に死んでいった。

 

ある日、既に布団に入った状態で、少しだけTwitterを見るとタイムラインが大盛り上がりだった。22時半頃だっただろうか。遡ってみたら、その日はバラいろダンディに小山さんが出演する日で、その後ダウンタウンDXにも出ていたのだった。ちょうどDXが放送されている時間だった。

全く知らなかった。なんならDXに出ること自体知らなかった。

 

なんだか猛烈に悲しくなってしまって、もうだめだ、と思った。きっとオタク友達の誰かが録画の救済をしてくれるだろうことはわかっている。だけどそういうことではなかった。ただただ悲しくて、情けなくて、虚しくて、折れてしまった。

10月後半からその日までで、飲み会の誘いを既に5つ断っていたのも更に追い討ちをかけた。

ちょっといったん、私は、私の欲望から、物理的に距離を置こう。自担のテレビ出演を見逃して絶望したり、会いたい人からの誘いを断らなくてもすむように、ひとりで、誰とも関わらず、ただ仕事へ行って寝るだけの毎日を過ごそう。

 

そう思ってアカウントを消した。ちょうどアカウントを消した頃、ずっと待っていたNEWSの新曲について発表されたようだったが、その時はもちろんそれにも気付いていなかった。

 

 

アカウントを消してから何をしていたかというと、仕事とマリオカートドラクエと睡眠。以上である。幸い、ゲームに課金するタイプではないので無料で遊べて誰とも関わらずにすむアプリゲームは今の自分にうってつけだった。

休みの日、ドラクエの千葉県限定モンスターを倒すために近所の公園へ行くと、同じようにゲームをしながらウロウロしてる人たちがたくさんいて、ああ、多分これが「当たり前」の生活に慣れれば、どうってことないのかもしれないなぁ、とぼんやり思う。こうして晴れた日に歩いて公園にきて、自転車の練習をする子供の声や犬の散歩をさせてるおじさんを眺めながらゲームをして、帰って納豆ごはんを食べて寝る。そんな毎日も悪くない。今まで楽しいことは散々やってきたんだから、これからはもう余生だと思ってエコに暮らしていけばいいじゃないか。

 

そんな悟りというか完全に諦めの境地、みたいなゾーンに突入した頃、母から1通のLINEがきた。

「嵐が式典で歌った曲の楽譜がほしい、売ってないのかな?」

???

……本気でなんのことだかわからなかった。なにしろ2週間テレビのリモコンを触っていない。ここしばらくはドラクエマリオカート攻略サイト以外インターネットも見ていない。頭の中をハテナでいっぱいにしながら話を聞くと、週末に天皇陛下即位のパレードがありそこで嵐が歌を披露したとのことだった。確かに嵐がそのような大役に選ばれたのは知っていた、が、もう終わってたのか!!? 

衝撃を受けながらも母のために嵐の曲について調べてみると、式典参加者に配られたというメロディラインの楽譜と、耳コピで楽譜を起こしてピアノ演奏している方の動画が見つかったのでひとまずそれを送る。

 

いくら余生とはいえそんな日本の大イベントすら気付かないなんて、今の私は生きていると言えるのか? 生きている意味があるのか??

なんだかもうよくわからなくなってしまって、母に送ったままのYouTubeの画面をボーっと見ていたら、演奏動画を閲覧した影響でオススメ欄にピアノ系の動画がいくつかサジェストされていた。あぁ、そうだ、こういう時はピアノだ……、と、その中のひとつを何気なくクリックした。

実家がピアノ教室だったので、私はピアノの音を聞くと無心になれる。母のお腹の中にいた時からずっと日常の中にあった音。特にめちゃめちゃクラシックが大好き!感動する!というわけではなく、単純に「無」になれる、それが私にとってのピアノ曲である。

 

YouTubeには「弾いてみた」系の動画がたくさんあがっていた。なるほど、昔はニコニコ動画だったものが今はYouTuberに移行してるんだなぁ。まらしぃさんとか懐かしいな~などと思いながらいくつかを無心で聞いていく。

すると、ある動画にたどり着いた。何百万回も再生されているものなので有名な動画なのだろうが、YouTube界隈に疎いので完全に初見だった。詳細は省くがそれは青年がストリートピアノを演奏しているものだった。

再生してみると、青年が楽しそうに、本当に楽しそうにピアノを弾いている姿に一瞬で心を奪われた。見終わって、もう一度再生して、また再生して、何度も何度も繰り返しては、嬉しそうで楽しそうな笑顔と音に、見てるこちらもずっと笑顔になってしまう。気がついたらその青年のupしている動画を過去のものからひたすら見続けていて、朝の6時になっていた。

 

久しぶりに1時間しか寝ないで会社へ行き、眼精疲労と寝不足でズキズキする頭を抱えながらも、1日9時間寝ていた10月後半からの日々の中でその日が一番元気でいられたように思う。その日の夜も、そのまた翌日も、ずっと彼と、彼に関連している演奏家さんの動画を見続けた。睡眠時間はどんどん奪われ、タブレットの充電と体力もどんどん奪われていったが、心はみるみる元気になっていくのが自分でもはっきりとわかった。カラカラだった植木鉢に水をやった時みたいな感覚だった。

いつか彼の演奏会があったら絶対行こう、そのためには情報が必要だよね。と、彼のTwitterをフォローしようとして、そっか私Twitter消してたんだった、と思い出して笑ってしまった。現場へ行きたい気持ちを封じるためにTwitterをやめたのに、結局行きたい現場が増えてしまった。まったく私は、生きてるだけでコスパが悪い。

でも、もう大丈夫だ、戻れる、と思った。

 

私はやっぱり、なにかを好き!って気持ちを捨てることなんてできないのだ。

なんのとりえも才能もないけれど、この世のたくさんの人や物を愛せること、愛すべき人を見つけることが私の唯一の長所なのだから、その気持ちを抑えようとしたら生きていけないのだ。そのことが本当によくわかった。

 

禁欲生活は続けている。11月はこのまま飲み会を断るつもりだし、今後も今までより外出は控えるだろう。だけど金銭面以外の欲望は、抑えこまなくてももうコントロールできるような気がする。今までは愛の量だけお金もかかった。お金を使わないためには愛を封じるしかなかった。それが全てを絶った3週間を経て、愛と欲望と出費のバランスを穏やかな心で考えられるようになったのかもしれない。

 

ちょっと精神的に追い込まれ過ぎてて、生きてるだけでハッピー!毎日楽しいサイコーナイスゥ~!!ってテンションでいられなくなってた自分がしんどかったのだけど、よーくわかった!! お金がなくてあまり現場に行けなくてもオタクになかなか会えなくても、やっぱり私は生きてるだけでハッピー!毎日サイコーナイスゥ~!!

なぜなら大好きな人がこの世に生きててくれるから!

そんな大好きな人が日々増えていくから!!