桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

性もなく正体も分からないなにか透明なもの

私が小山さんの担当を名乗るようになってから5回目の5月1日は、新天皇が即位し元号がかわるという歴史的な1日だった。ほんとうは他の小山担の皆様のように、誕生日のうちにポエムブログをしたためたかったのだけれど、当日は昼から夜中までずっとオタクと小山さん誕生日を(勝手に)祝っていて余裕がなかった。あ~~書けなかったわ、まあ明日やろう~~とか思っていたらいつの間にかGWも最終日である。夏休みの宿題を全て8月31日にやっていた30年前からひとつも進歩していない。

 

30年前、昭和が終わる頃。テレビでは歌番組がいくつも放送されいて、たくさんの「アイドル」が活躍していた。当時小学生だった私は、大多数の小学生と同じようにそれらの番組を楽しんで見ていて、明菜ちゃんのモノマネをして歌い、光GENJI男闘呼組のCDを買ってもらうごく普通の子供だった。今でも実家の押し入れの柱には、明星の付録に付いてきたC-C-Bやシブがき隊のシールが貼られたままになっている。

時代は平成へと移り代わり、昭和の頃に大好きだったアイドルはひとり、またひとりと「アイドル」としての活動を終えていった。私の一番好きだった男闘呼組も20代前半で結婚、そして活動休止をしたし、一世を風靡した光GENJIもまだ全員20代のうちに解散した。おそらく当時の多くの人にとって「アイドル」とは「そういうもの」だったと思う。10代のうちに華やかに歌って踊ってキャーキャー言われる活躍をし、そして20代で結婚や引退やはたまた俳優へ転向か、とにかく「アイドル」とは呼ばれないなにかになっていく。実際に数年前にテレビ出演していた、元光GENJIのあるメンバーはその解散理由のひとつとして「当時のアイドルは、20代後半になったら『それぞれの道に行く』みたいなスタイルがあった」と語っていた。

しかし平成の30年を経て、特にアイドル……少なくともジャニーズについては、その構図が変化した。偉大なるSMAPが生まれ、嵐が生まれ、活動はより多岐に渡るようになり、30歳を越えても多岐に渡る活動の一部でありベースである「アイドル」という役割が続いていくようになった。アイドルとしての彼らの努力、プライドは年齢を重ねてもなお、というより重ねれば重ねるほど更なる深みを伴って「アイドル」の魅力を増し続ける。こんなにいつまでもずっとキラキラしているのだからこれは永遠に続くかもしれない、と私たちは思ってしまうし、本当にいつまででもアイドルとしてそこに居てくれることもあるだろう。とはいえ、彼らがひとりの人間であり、自分の人生について考える時期がくるのは昭和の時代と変わらない。その時下す結論の幅が、今は広がっている。個々の想いがより尊重されるようになっている。と、個人的には感じている。あくまで、ここ数年の激動のアイドル界を緩く見ていた単なるイチ視聴者の感覚であるが。

 

小山さんは35歳になった。昭和の時代ならとっくに「アイドル」ではなくなっていた年齢だ。それでも彼はいまのところ、アイドルを続ける道を選んでいる。そして、アイドルとしての輝きを一昨年よりも去年よりも、おとといよりも昨日よりも、日々増していっている。

去年の小山さんの誕生日、私はこんなことを書いた。

 

小山さんにはもっともっとやりたいこと実現していって、もっともっともっと力をつけてもらって、もっともっともっと小山さんの大好きなNEWSが活躍して、もっともっと、も~~~~~~これでもか!! ってくらい幸せになってもらわなきゃ困る。

まだまだまだまだ、これからもたくさん小山さんを好きになる予定だから。

だからNEWSで、4人で、今日からの新しい1年もたくさん笑って、幸せでいてね。そしてまた新しい小山さんをどんどん見せてください。大好きなあなたが目指す場所に行けるように、私も「一切引かないし 一切負けない」で一緒に前へ歩きたい。

 

tounoin.hatenablog.com

 

小山さんの34歳は、そりゃあもう色々なことがあった。「たくさん笑って幸せでいてね」と願ったけれど、きっとたくさん泣いただろうし不幸せな気持ちで過ごした日も山ほどあっただろう。

だけど自分の文章を読み返してみて、あれ? 私が願ったこと、案外叶えられてるな? と思った。この1年間で小山さんは、もっともっと歌がうまくなったしもっともっと色気を増したし、新しい髪の色、新しい趣味、新しい表情、たくさんの進化した姿を見せてくれている。やつれたように見えて心配した日もあったけれど、味スタでの笑顔もカウコンでの笑顔も、小山さんが幸せって思ってくれてるのが風に乗って伝わってきた。勿論まだ道の途中だけど、小山さんが「目指す場所」へ歩いていっていること、私たちもそれに着いていってることを理屈ではなく実感している。

 

平成の終わり、私はずっと、アイドルってなんだろうと考えていた。

以前質問サイトのaskで「たくさんの人に愛されるアイドルがうらやましくて、劣等感を募らせてしまう」と相談を受けたことがある。それは私には全く無い感情だったのでとても興味深かったのを覚えている。私はどちらかというと、アイドルの光の部分よりも水面下の大変さへの畏怖が強い。とくにここしばらくは、何度も繰り返され途切れない悪意、NGTの痛ましい事件などもあって、アイドルという職業の人に同情に近い気持ちすら抱いていたように思う。自分が好きな人のことをかわいそうな人なんて思いたくない、のに。こんな目にあわなきゃいけないアイドルっていったいなんなんだろう、とどうしても考えてしまっていた。

 

だけどNEWSに密着した特番「RIDE ON TIME」で、「アイドルの仕事は楽しいか」と聞かれた小山さんは「それは好きですよ」と屈託の無い顔で即答していた。

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私はこれを聞いた瞬間、このシゲちゃんと同じような顔をしてしまった。様々な思いや感情がコンマの速さでザーっと去来して、でもうれしい、しみじみ愛しい。そんな気持ちを噛み締めた。

 

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だいぶ前に手越担の友人に「小山さんて本当にどうしようもなく『アイドル』だと思う」と言われたことを思い出す。一重だとか、普通っぽいとか言われるけど、コンサートで小山さん見ると「うわぁこの人どこからどうみてもアイドルになる人生しかなかった人だわ」って思うんだよね、と彼女は語っていた。私もなんとなくそう思う。多分アイドルではない仕事に就いても活躍しただろうしモテ散らかして今頃は家庭を持って、という人生を送っていただろうけれど、おそらく小山さんはアイドルが天職であり、そうならざるを得ない生まれ持ったなにかが無自覚にある人のような気がする。もしかしたらその天性のなにかが、「狂ってる」とここでシゲがいうなにかなのかもしれない。

狂ってる小山さんが、アイドルという職業に出会えたこと。酸いも甘いも経験し35歳になった今もなお、アイドルという職業を「好き」だと、「もちろん続ける」と答えること。

少なくとも小山さんにとってアイドルとはそれだけの価値や思いがある職業なのだ。と思ったら、一時期の同情に似たような気持ちなど吹き飛んでしまった。小山さんが狂ったままでなによりも輝ける環境にいることが嬉しくて仕方ない。私は狂ってる小山さんを、そして同じように狂ってるNEWSという人たちを、ずっと見ていたい。

 

 

「どうして小山さんの担当なんですか」「小山さんへの気持ちはどういうものですか」と聞かれたとき、私はいつもうまく答えられない。

アイドルとはなんだろう、という命題には答えがなくて、アイドルを好きな人が100人いたら100通りの感情があるだろう。自分の中の正解と違う感情を持つ人のことを蔑む人もいる(ゆえにアイドルオタクは争いが絶えない)が、正解はないのだ。

では私の小山さんへの気持ちは? と、何度も言語化しようとしてきたが、その度にふわふわと雲のように言葉が消えてしまう。

多かれ少なかれ、担当にある種の恋愛感情を抱いている人は多いと思う。担当に恋人ができても結婚しても祝福できるよ、という人でも「それでもちょっとだけうっすらしんどいよ、その気持ちは恋とかじゃないけどちょっぴりつらい気持ちはあるよ、なんでかわかんないけど」みたいな感情を持つ人は珍しくないのではないか。

私に関して言えば、小山さんに恋愛的な感情は1ミリたりともない。今まではそういう自覚もなかったが、いま私は別の分野でマジでリアルに人生初めての「ガチ恋」というものの真っ只中におり、それゆえ「あ、小山さんへの気持ちって本当にひとつも恋愛じゃないんだな」ということに気付いてしまった。(これは余談だけど気付きたくなかった。ガチ恋は本当に地獄。今までは他人事だと思って眺めてたジャニーズガチ恋の人たちの気持ちが痛いほどわかる)

そんなわけで小山さんには、小山さんが望むならどんどん恋愛してもらいたいし結婚もしてもらいたい、という感覚なのだが、それでは小山さんがどういうふうに「特別」なのかを説明するのが難しい。

 

小山さんへの気持ちを一言で表すと「抱きしめたい」かなぁ、とこれまで友人には言ってきた。なぜかわからないけれど、小山さんという人を知ったその日から私はずっと、小山さんがどれほど幸せそうにしていても、いや幸せそうにしていればしているほど、ぎゅっと抱きしめたいような気持ちでいた。母性ともまた少し違うような気がする、しかし性愛でもない感情で、「小山さんを包みたい」とぼんやり思っていた。

幸せでいてほしい、は、NEWSの4人に対しては全員に思っていてその感情に優劣はない。その上で、他の3人へ付随する感情はある程度言葉にできる。てごちゃんへ対しての気持ちは母性に近いし、シゲちゃんへ対しては友情に近いものと若干の恋愛感情、増田さんへは性的な感情。

だけど小山さんについて考えると途端に「無」になってしまう。小山さんへの感情だけがよくわからない。よくわからないので前述の通り「抱きしめたい」「包みたい」などと無理矢理言葉にするか、あるいはもう諦めて「魂が小山担だから」と答えていた。

 

だけど今回、(ガチ恋を知ったことで感情の整理をしたかったこともあって)ちょっと腰を据えて自分の小山さんへの気持ちと向き合ったら、相変わらず言葉はふわふわとゆらいでしまうけれどなぜか頭の中に一冊の漫画のタイトルが繰り返し繰り返し浮かんできたのである。

 

それは「トーマの心臓」という、少女漫画の名作ーーwikipediaによれば「人間の愛という普遍的かつ宗教的なテーマを描いた作品」とのことだけどーー私の人生において一番大切な漫画だった。幾度も繰り返し読んだこの漫画のあらゆるページが脳内でめくられていき、そしてある1シーンで止まった。

 

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ほんとうに どうしてきみでなければならないのか
ぼくにはわからないんだ

ぼくのさがしているものの なにが きみと重なるのか わからないんだ
でも きみとなら ずっと遠くまで 手をとって
歩いていけそうな気がする
源へ 


ぼくがトーマでも エーリクでも
ぼくの顔かたちが どんなでも 
なんのかわりも ないんじゃないだろうか

結局は ここにこうして ある思いが ユーリに向かってることが
一番 たいせつなことなのじゃ ないだろうか

だれも 見てないはずはない ユーリ
きみが だれも愛してないはずはない ユーリ
―― みんな きみを 愛しているのに――

 

私はたぶん、小山さんに「伝えたい」のだと思う。

小山さんのこと、みんなが愛してるよ。小山さんは、みんなを愛していいんだよ。ということを全力で伝えたいし小山さんに全身で感じてもらいたいのだと思う。そういう感情が「抱きしめたい」になったのだろう。

小山さんはそんなこと私が言わなくてもわかってるよ、ということは勿論理解している。小山さんの近くにいる家族や友人やメンバーがそんなことは当然伝えているし小山さんもその気持ちを受け取っているだろう。ファンの気持ちだってコンサートでの小山さんの笑顔を見れば伝わっているのはわかる。

それでも、どんなに小山さんが幸せだからわかってるよ、もういいよって言ったとしても、私はずっといつまでも伝えたい。なぜだかぜんぜんわからない。どうして小山さんなのかわからない。だけど私の思いは小山さんに向かって呼び掛け続ける。小山さんのことをわたしも、みんなも、たくさんたくさん愛してるよ! と。

 

 

小山さんの誕生日、小山さんのことを大好きなオタクたちで集まった。

シャンパンタワーをして、ケーキを食べて、小山さんおめでとうって何度も歌って笑った。本人不在のそんなお祝いをしたって、本人には届かない。だけどこうやって私たちが小山さんを大切に思ってる気持ちが、なにか見えないエネルギーみたいなものになって空に広がっていけばいいな、なんてスピリチュアルなことを考える。

 

今日のブログのタイトルは、「トーマの心臓」の冒頭に記されている、この作品の主題となるテーマを表す詩の一部。

「愛」は「性もなく正体もわからないなにか透明なもの」に向かって「投げ出される」とその詩には記されている。

ああ、これだなあ。私の小山さんへの気持ち。性もなく正体もわからないなにか透明なもの。

結局正体はわからないけど、これは確かに「愛」だな、ってことだけはわかるよ。

 

 

 

小山慶一郎さん、新しい時代の幕開けと共に訪れた、あなたの新しい1年。

あなたの35歳の1年間が、はちゃめちゃに愛し愛される日々でありますように。

それをあなたが、嫌になっちゃうくらい実感する日々でありますように。

私はこの透明な気持ちを空に向かって投げ続けます。

 

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