桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

「なんでもできるよ」

日中あまりツイッターを開くことなく、Wワークをしている居酒屋のバイトへバタバタと向かった。20人の宴会が入っていたので他の店員と無駄話することもなく接客をし、団体さんが帰って一息ついたところで店長が言った。

店長「小山くん降板で落ち込んでませんか、大丈夫ですか」

私「いやいや、復帰してないだけで降板したわけじゃないので」

店長「えっ見てませんか、さっき夕方のニュースで報道されてましたよ」

 

 

そっかあ。と思った。

不思議なほど落ち着いていた。

 

 

0時近くまでバイトをして、帰り道、Twitterを遡る。

私のタイムラインは私の感性に合う人しかいないので、どの方の呟きもそうそう、そうだよねえ、って思いながら読んだ。探せばなんやかんや言ってる人もいることはわかっているけれど、わざわざ見に行く必要性も無いのでただTLを眺めていた。

TLの方々に共感しつつ、どこか現実味のないまま時間が過ぎる。思うことは山ほどある。私はなにひとつ忘れていない。あの6月のことも、そのもっと前からのことも。私は犯罪史に興味があって、今まで様々な凶悪犯罪者のことを調べてきたけれど、どんな犯罪者のエピソードを見たときよりも「人間とはおそろしいものだ」と感じた出来事だった。

全部覚えているし、この事であのときの感情を思い出してしまっている優しい方々がたくさんいたけれど、なんだかもうその気持ちについて語る気分でもない。

 

ホームページからひっそりと名前を消すだけでよかったはずだ。あるいは、ホームページ上で文書での発表でもいい。

だけどわざわざ18時以降、全国ネットになる時間帯で、ああやって藤井さんが発表をしてくれた。「このような時間をとることにお叱りもあるかもしれないが」というようなことを言っていた通り、きっと多かれ少なかれ批判は受けるのであろうことを番組は想定していながら、ああいう発表の仕方を選んだ。

紫のネクタイをして、感謝の言葉を述べる藤井さんを見たら、あぁ、私の好きな人は凄く凄く愛されていたんだなぁ、としみじみ思って、こんな状況なのにどこか嬉しさすら感じてしまった。

彼のことを全然知らない人がどんなに彼を嫌いでも、彼と8年間仕事をしてきた人たちからありあまる愛を受け取っているんだから、それが救いだし全てだ。

そう思ったらなんだかしっとりと落ち着いた気持ちになってしまって、悲しみに溢れるTLを見ながら「こういう時に泣けないもんだなあ。薄情なのかな」なんて考えたりもした。番組は永遠ではない。いずれ終わりがくる。その終わりが予定外に訪れてしまったことの悲しみはもちろんあるけれど、小山さんが積み上げてきたものの大きさを考えたら、きっとこれからも大丈夫、と思えてしまった。

 

 

番組がなくなっても、小山さんがやってきたことは消えない。小山さんがたくさんの被災地の方を勇気づけたこと、連勤をこなしながら舞台やコンサートもやったこと、全てが小山さんを形作っていて残っていく。

 

 

私には彼の魂はとても美しいものに映っている。この1年の怒濤の要素を重ねてもなお、むしろ尚更どんどん美しい人間になっているように見える。だけどそうは思えない人も勿論いるだろう。色々な色を混ぜて作っていたガラス玉が、混ぜすぎて途中から嫌いな色になってしまった、そういうこともあるだろう。前までは綺麗な色だったのに! と思っても、変化していくガラス玉なのだから仕方ない。1度手放してまた自分好みの色になるのを待つか、あるいは捨ててしまうかしかないのだ。

 

 

なんてことをつらつらと考えていたら、ある方の言葉が目に入った。デビュー頃からずっと小山さんを見てきた先輩小山担さん。お会いしたことはないけれど小山さんのことを思うとき「あの方はなんて言うだろう」と一番に気になる大好きな方。

今回のことと思われるのは、たった一言のツイートだけだった。

 

「またなにかはじめていいんだよ。なんでもできるよ」

 

これを見た瞬間、初めて涙が出た。

 

なんてやさしい言葉だろう。ずっとずっと小山さんのことを見てきたから出てくる言葉だ……と胸が詰まった。

そうだ、そうだったね。そもそもキャスターは、自分にはなにもない、と思っていた小山さんがいちから始めたことだった。24時間テレビの手話をきっかけにオファーがきて、そのチャンスを握りしめた小山さん。襟足を切って、髪を染めて、アナウンススクールに通って、新聞を読んで勉強して。キャスターになる前の、舌足らずな甘い滑舌、ちゃらくて軽くて優しくて甘いにおいがしそうなパリピの風情はほとんど消えて。(メンバーとリラックスしてると時々昔みたいになるのがかわいいけどね)

そうして自分のアイデンティティを確立した人だった。それができる人なんだったね、小山さんは。

最近の様子を見ていると、小山さんは前を向いているような気がする。受けた傷はきっと消えないだろうけど、新しい日々のほうに進もうとしているように見える。

 

小山さんはまた「なにかをはじめられる」人だ。

キャスターという経験を積み重ねた小山さんが、今度はどんなものをはじめて、どんなものを積み重ねていくんだろう。

ああ、人間の可能性はやはり未知数だ。小山さんを追いかけていたら不可抗力で人間のおそろしさを感じてしまったけど、小山さんのことを見ていると私は、やっぱり人間が大好きだなと思えるんだ。

 

これからまた新しい要素を得ていく小山さんを、私はずっと見ていきたい。

もっともっと美しくなっていく小山さんを。