桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

わたしを束ねないで/僕らはどうしたって湿っぽい男たちだ

だいぶ前にこんなaskを頂いた。

 

ask.fm

 

ちゃんと答えなくてはな、と思うとなかなか片手間では書けなくて、結局数ヵ月も放置してしまっていたのだが、NEVERLANDの感想を書こうとしたらこの質問に対しての私のスタンス抜きには語れないような気がしたので、ここで触れることにする。なおブログ記事として書く都合上、通常のaskのような言葉遣いではなくなることをご容赦ください。そしてお気付きの通り私はこの記事でNEVERLANDの感想を書こうとしている。オーラスから2ヶ月経っているというのに!

 

「この感覚はおかしいのでしょうか」という質問に対する私の解答は「おかしくない」ただ一言である。私がフォローしている中でも「なんでもかんでも褒めててこわい」「ちょっとでも批判めいたことを言ったら叩かれそう」などと呟いている方はわりといた。特にQUARTETTOのコンサート後が顕著で、QUARTETTOの内容にあまり満足できなかった方々が「悪いことを言ってはいけないという同調圧力を感じる」と言っていた。質問者の方をはじめ、少なくない人数のファンにそう思わせてしまう何かがあるのは確かなのだろう。

とはいえ私の感覚では「そんな絶賛意見ばかりでもないよなぁ」と思っている。先のQUARTETTOの時も「あの演出は自分には合わなかった」「セトリが不満だった」等と意見を述べている人はたくさんいたし、そういう方が叩かれていた記憶も(少なくとも私が見た範囲では)ない。Touch初披露時には大半の人がダンスについてわりと辛辣なことを言っていたし、直近ではツアーのグッズがダサいという嘆きも多かった。私の回りはまあポジティブなことしか言わない人の方が多いけど、鍵垢では本音を言っている人もいるし、ちょっと検索してみるとなんでもかんでも褒めるアカウントと同じくらい、なんでもかんでもダメ出しするアカウントも見かける。つまりは「NEWS担は批判をしない」わけではなく、自分がフォローしたいと思った人があまり批判をしないタイプの方だったということなのではと思う。

 

そういう私も、日頃NEWSを褒めたおしている方ばかりをフォローしているタイプだ。私自信の考え方として「餅は餅屋」という感覚なのも大きい。「悪いところを指摘してあげるのが本当のファン」という言説には私はあまり共感できなくて、彼らはプロなんだから我々が指摘することなんてとっくにわかっているか回りのプロが指摘していると思っている。だってわたし自分のやってる仕事(営業)に、全然この仕事を知らない人から「そんなんだから契約がとれないんだ!もっとこうすれば売り上げがあがる!あなたのために言ってるのよ!」とか言われてもうるせーーーそれができたらとっくにやってるわ!じゃあお前が売ってきてくれ!って思うもの(笑) もちろん他業種から見た客観的な意見というのがとても大事なのも確かだし、例えば消費者としての要望(DVDにしてほしい!この前のCDはこれが不満だったからもっと得点つけて欲しい!ドキュメントつけてくれたらうれしい!)などはしかるべき場所に伝えるのが良いと思うけれど。

 

恋を知らない君へを歌番組で歌った時だったかな。慶ちゃんの歌の調子が良くない日があって、Twitterで「どうしたらもっと音程が安定するかな?」「合唱やってたけどこういう練習が効果あったよ」「てごちゃんの声をガイドにすると歌いやすいって言ってたからユニゾン曲で慣れていくと良さそうだね」なんて話を複数人でしていたことがある。するとその様子を見た私のフォロワーさん(ジャニオタではなくNEWSのことも知らない)が、「小山くんという人のことは良く知らないけど、ファンの人達が『下手でも頑張っててかわいいからOK』とか言うのではなく、彼の頑張りをわかっているからこそ、どうしたらもっと良くなるかな?ということを真剣に考えているのが凄いなと思った。愛を感じる」と言ってくれたことがある。慶ちゃんが実はボイトレしてることは最近明らかになってきていて、実際過去の歌声と比較すると本当に変わっている。我々が指摘するまでもなく本人たちは欠点とされることは克服しようとしている、それがプロのタレントだ。だけど私たちは時にどうしても心配してしまうし、どうしてもおせっかいをやいて、ファンが話し合ったってどうにもならないとわかっていても話をしてしまう。いつもいつも褒めてばかりに見える人でも実は時々不安にもなっている。そんな風に、ただ称賛するだけではない風景もけっこう見てきたように思うのだ。

ただ、感情の問題としての「とにかく嫌い!あれは嫌!」という気持ちを表すのは確かにためらわれることもある。誰かが何かを『良い。好きだ』と思っていることに対して『良くない、嫌いだ』と言うことは、誰かの『好き』という気持ちを傷付けてしまうかもしれない。それでいざこざが起きたり、離れていく人もいるだろう。そういうことを恐れて、負の方向の意見は言いにくくなってしまうものだ。しかし勇気を出して発言することで、それに共感してくれる人も現れたりする。全ての人が自分と同じスタンスなんてことはあり得ないのだから、結局は、同調圧力なんてものは無くて、自分の気持ちを表すかどうかは自分の問題だ。どうしても言いたいことがあれば言えばいいし、言わない方がいいかなと思えば言わなければいい。

 

 

今回NEVERLANDのことを書くにあたってなぜ最初にこんなことを書いたかと言うと、今から私はNEVERLANDを絶賛するからだ。

同じものを見ていても、受け止め方は人によって全然違う。普段親しくしているNEWS担の中だけでも、例えばMCであやめをメンバーがやったことがどうしてもどうしても嫌で怒りがおさまらない、という人がいる。Wアンコールでメンバーが出てきたのは嫌だったという人もいる。彼女らの意見は私とは違うし、その感情は推測することはできるけれど理解はできない。理解しようとも思わない。だけど理解ができないからといって私が彼女らに抱く好意は変わらない。「誰がなんと言おうと、私は嫌だったんだよ」という彼女らの主張は私の好きを否定するものではないし、そう感じた彼女らの感性をひとりの人間の感情として大切に思うからだ。ある人には幸福に思えることが、ある人にとっては不幸だったりする。ただそれだけのこと。

 

だから私も「誰がなんと言おうと、私にとってはNEVERLANDは全てが最高で完璧だった」と表明しておく。私のこの感情は、そうではなかった人を否定するためのものではなく、当然傷付ける意図もない。その事だけはどうかおわかり頂ければと思う。

 

NEVERLAND公演はありがたいことに4回入ることができた。友人の同行で福岡初日、静岡2日目の2部、ドームの初日。そして自分の名義でオーラス。White、QUARTETTOに続いて3度目のNEWSコン。去年も一昨年も最高NEWS大好きありがとう生きてて良かった!!っていう気持ちだったけど、ちょっと来年以降のツアーが怖くなってしまうくらい、私にとって今回のNEVERLANDは特別なものになりすぎてしまった。

セトリも、セットも、衣装も、演出も、照明も、ダンスも、レーザーも、何もかもがあまりにも好きで、どこにも文句をつけようがなかった。あ、嘘だひとつだけある。制御ペンラが制御されてる時間がちょっと多すぎたかな。でもほんとそこだけ。

特にドームのオーラスはあやめのMC、そしてアンコールも含めた全てが震えるほど特別で、これがDVDに残るであろうことを思って天を仰いで「神様…!」と呟いてしまったくらいに、一生忘れたくない、忘れたくない公演だった。

 

さて、ここから、QUARTETTOの時(愛するということは互いに見つめ合うことでなく ~QUARTETTO感想~ - 桐ノ院整体院)と同じように、全曲セトリ順の感想と統括を書くつもりだった。実際4曲目くらいまでは書いてあった。しかし続々と更新されるファンの方それぞれの感想ブログを読んで「そうそう、あ~~ほんとそれ、あ~~それもよかった、それなそれな」と頷きまくっているうちに、もう今更私が書くことも無いな、という気持ちになってしまって今に至る。なのであのオーラスを見てからぼんやりと考えていることを、ただつらつら書くことにしよう。全くまとまりもないし、結論もないことなのだけど。

 

 

 

私は浦和レッズのサポーターでもあるのだが、ずっと忘れられない試合がある。2007年のアジアチャンピオンズリーグACL)の準決勝だ。アジアNo.1をかけたトーナメント戦で、それまで日本のチームが優勝したことはないという大舞台だった。その準決勝、レッズは先制するも後半に逆転され、しかし執念で追い付き、2-2で延長戦まで戦ってなお決着がつかず、PK戦へもつれこんだ。通常のJリーグの試合も行っている中での過密日程に加え、120分を越える激闘で選手はもう立っているのもやっとの状態だった。水曜の夜19時半、というド平日にも関わらずスタジアムは50000人を越えるサポーターで満員である。私も仲間も、スーツのまま仕事先から駆け付け、ワイシャツの上からユニフォームを羽織り声を枯らして応援していた。

PKはレッズのホーム側のゴールで行われた。すると誰が呼び掛けた訳でもないのに、スタジアム中の大旗がそのゴールの裏に終結し始めた。そして試合開始前に応援メッセージとして掲げたコレオグラフィ(人文字)を、また誰かが掲げはじめ、自然発生的にみるみる文字が復活していった。スタジアムがビリビリと震えるほどの、We are Reds!のコール。

(↓この動画の冒頭1分ほどの出来事)

 

 

youtu.be

 

レッズの選手が蹴るときは選手が集中できるよう息をひそめ、スタジアムは完全な静寂に包まれる。相手チームが蹴るときは、集中力を削ぐため全力でブーイング、ゴール裏の旗をうねらせ威嚇した。いつのまにか、隣にいた全然知らない人と自然に肩を組んで、祈っていた。隣の人のじっとりと汗ばんだ背中を今でも覚えている。

 

youtu.be

 

興味ある方いらっしゃればPK戦の全貌がこちら↑

1:20頃の、ゴール裏でうねる旗がまるで魔物のようである。あと私の最愛の選手、阿部勇樹が脚引きずりながらPK蹴るところで何度でも泣きます(これ書きながらまた泣いてる)

 

結果、この試合に勝利し、決勝戦にすすんだレッズは日本チーム初のアジアチャンピオンとなった。

私がこの試合を忘れられないのは、この日このスタジアムにいた我々サポーターは、間違いなく「共に闘っている」という感覚になったからである。あの日のスタジアムは本当に一種異様な空気感に包まれいて、あの場に居たもの全員が何か同じ夢を見てトリップしているというか、異世界にいたような、強烈な一体感があった。

 

 

なぜ長々とサッカーの話をしたかというと、この試合から10年経った今年、私はあのNEVERLANDオーラス公演の東京ドームで同じような感覚におちいったからである。

 

 今回の公演はNEVERLANDという世界観を非常に重視していたので、アンコールがなかった。アンコールという扱いでいちど世界観を区切って歌われるUR not aloneが終わればもう、何をどう考えてもそれ以上歌うべき曲は見当たらないし、求める気持ちにもならなかった。だから今回のツアーは、ネタバレを見ているいないにかかわらず、アンコールを求めるNEWSコールは(様式美としていくらかは発生するものの)ほぼ無かったといってもいいかもしれない。

しかしオーラスは違っていた。圧倒的なボリュームのNEWSコールがいつまでも鳴り止まなかった。私もなんだかもう感情がめちゃくちゃになりながらNEWS、NEWSと繰り返し叫んでいた。コンサートの内容が私にとっては本当に本当に完璧に最高だったこと、URを歌った彼らの表情、上半期たくさん負の感情を浴びたこと。色々なことが頭の中をめちゃくちゃに通りすぎていった。もう歌って欲しい曲はない。出てきて欲しいとも思わない。ただ伝えたかった。凄く凄く好きだということ。せめて声が届いて4人がそれを嬉しく思ってくれたらいい、いやもう届かなくてもいいから愛してると言わせてくれ。

 

彼らが出てきた瞬間、でてきた…と呟いて泣き崩れてしまった。てごちゃんと慶ちゃんが泣いていること、シゲちゃんがその肩を抱いてニコニコしていること、増田さんがまっすぐ客席を見渡して歩いていることがわかったら完全に涙腺がバカになって、ほとんど声をあげて泣いてしまった。

 

NEWSがバクステまで来ると、スッ……と静かになる会場。4人の生声。自然発生して広がるUR not alone。

あの日の埼玉スタジアムと似た、強烈な一体感。

とはいえ5万人が「勝ちたい」という大きな1つの気持ちを共有していた試合と違って、この東京ドームは個々の気持ちはもっとバラバラだったはずだ。現に一緒に入った友人は、メンバーが出てきたことに白けていたらしいし、あやめのMCを許せない気持ちを抱えたままだった人もいる。自分のしたことで騒動を起こして自業自得なのになに感動っぽくしてるの?という声もあった。それでもあの会場の大多数の空気はどこか特別で、なぜかひとつにまとまっていて、なんてことだ、歴史に残る公演に立ち会ってしまった……という思いで涙が止まらなかった。

 

彼らが泣いた理由はわからないし、観客それぞれ思ってたこともバラバラだろうけれど、少なくとも私の中では、あのエモーショナルでウェッティな会場の雰囲気は、上半期ずっと不穏な空気を流していたコヤテゴのあれこれと無関係ではないように思えてしまった。

終演後「美恋の時とはわけが違う、今回のことは自業自得なんだから泣くのはお門違い」という意見を目にした。確かに美恋の時とは全然違う。美恋の涙は、抗えない運命に巻き込まれながらも待ち続けたファンたちと、乗り越え再生したメンバーが共に分かち合う嬉し涙だったんだろうと解釈している。戦友のような。ただ私は美恋の時は現場にいないので、あくまで映像を見た追体験でしかない。実際は言葉になんてできないような大切な感情がそれぞれの人の中にあっただろう。

今回の涙は、私はただ悲しかった。なんで彼らが泣かなきゃいけないんだ、ちくしょう、と思いながら私もひたすら泣いていた。何度も書く通り私個人は、彼らが責められたり謝罪しなければいけないようなことをほとんどしていないと思っているので(これに関しては生き方と価値観の違いなので意義を申し立てられても私の気持ちが変わることはないです。多分1回死んで別人として生まれ変わらない限りゆるがない)、あれだけの悪意に彼らが晒されている間ずっとずっと辛かった。だから悲しくて、もっともっと愛してるって伝えたい、少なくともここにいる人の大多数があなたちを愛してるということが伝わって欲しい、と思って泣いて、彼らの涙を見て伝わった気がしてまた泣いた。

これは単なるいち小山担の私の個人的な感情で、きっとあの場にいた50000人の中には50000通りの感情があった。少なからずコヤテゴのどちらかまたは両方を物凄く憎んでいる人もいただろう。それでもそれを越えるくらい好きな自担がいるとか、最後のつもりで渋々足を運んだとか、何らかの理由であそこに立ち会った人たち。なぜかそのバラバラな感情を集めた空間が、異様な一体感をまとっていた。

 

 

私は他担の友人も多くいて、わりと頻繁に「NEWS担が嫌い」という話を耳にする。なんならNEWS担本人も言ったりする。NEWS担が「NEWS担サイコー!マナーもいいよね♥」なんて言えば言うほど、「NEWS担キモい」と言われる。その度に私は、冒頭のaskへの回答のように「それはあなたが嫌いなタイプの人が、たまたま観測範囲内のNEWS担にいただけで、20万人いるNEWS担のほとんど数人の話でしょう。どこの世界にもこいつ嫌いだなって人はいるから、それで一概にNEWS担を嫌うのは違うんじゃないの」と反論していた。学級会も、ネタにマジレスも、法的にアウトレベルの叩きアカも、なにもNEWS担に限ったことではないのに「でもNEWS担ってそういう性質の人多いよ」と言われる。それはそう感じた友人個人の確かな感覚なので尊重しているし、その事自体は気にならなくてその人たちのことも好きなままだけど、傷ついていないかというとそんなことはなくて、なんでかなぁ、だってみんな同じなのになぁ、なんでNEWSという冠がついたら嫌われるんだろう?とずっと考えていた。

しかしオーラスに入って、なんだかもはや言葉にできないけども、

「ああ、これがNEWSとNEWS担だ。これが私やNEWS担がNEWSを大好きで特別な理由であり、そしてNEWSとNEWS担が嫌われる理由でもあるんだ」という感覚が、スッと体に降りてきた。

 

わたしを束ねないで、と、思う反面、ああ私たちは束ねられてしまうなあ、これは。と思った。その感覚をどうにか言語化しようとして、できなくて、2ヶ月ブログを書けないままでいたけど、結局無理そうなので「とにかくそんな雰囲気」というざっくりしたことだけ書きにここへ来た。

そんなおりにシゲちゃんが書いたNEVERLANDについての言葉。

 

「僕らはどうしたって湿っぽい男たちだ」

 

これにひとつの答えが含まれているのかなと思った。

結局NEWS本人たちが、すこぶるウエットでエモーショナルな人たちなのだ。

そしてそれを信仰するーーー「信仰する」という言葉をあえて使うけどもーーー人たちの大多数が湿っぽくてドラマチックなものを好む人たちなのだ、おそらく本人たちがそうだから、そういう性質の人を呼んでしまう。それがNEWSとNEWS担なのかもしれない。

 

その様は宗教に似ている。

 

私は新興宗教とその行く末に興味があって、主にオウムを中心に関連書籍を読みまくるという趣味があるのだけれど、あのレッズの試合も、NEWSのドームオーラスも、「なにかを信じる者が集まり、共に祈った」という点ではほとんど宗教だなという気がする。そして、なにかを熱心に信仰する様は、人によっては「気持ち悪い、なんかこわい」と距離を置く案件になるのだ。私の母なんかはまさにそのタイプで、なにかを熱狂的に追いかけること自体にうすら気持ち悪さを感じるらしく、その気持ちがわからないと度々言っている。

 

NEWSについて「テッペンをとりたい」「テッペンをとらせてあげたい」という言葉を見るたびに、テッペンてなんだろうと考えていた。テッペン、というのが嵐やSMAPのようにレギュラー番組をたくさんもって国民皆に知られて愛されることだと思うと、どうしても私にはNEWSがそこの位置にいることが想像できなかった。彼らの持つ湿っぽい部分。好きな人は物凄く熱狂的に好きになってしまうけれどそのぶんちょっと引く人もいるかもしれない部分。私がなにより大好きなその部分が「テッペン」ということを考えるたび気になっていた。嫌われてしまうのではないかと。でも反面、こういうものが好きな人はもっともっともっといるはずで、信者はもっともっと増えるはずで、更に彼らはきちんと茶の間受けのスキルも持っているのだから、レギュラーの1個や2個もつくらいの未来は容易に想像できたりもする。嫌い嫌い言われすぎたからかもしれないけど(笑)、私はずっと「売れて欲しいなあ」「もっと売れるはず」「でも嫌いって人ももっと増えるだろうから無理なのかな……」という狭間で揺らいでいるのが現状だ。

ただ、その「テッペン」というのが、「彼らが自分たちだけの道として表現したいものを自由に披露できる環境になること」というのだったら、きっといつかそこに行けるのではないかと信じている。そしてそれを「3大ドームで披露する」くらいなら、わりと遠くない将来にたどり着けるのではないかと。そのくらい盲目的に思ったりもしていて、私もやっぱりどうしようもなく信者なのだ。

 

そう思えた大きな理由がNEVERLANDで、ああNEWSはこういう道を突き詰めていくのがひとつのテッペンなのかなと思った。あれだけのものが作れるNEWSのこの先を、私はずっと見ていきたいし、もっとたくさんの人に愛されて欲しい。宗教のような雰囲気をどうしても作り出してしまうなら、もっともっと信者が増えればいい。

 

 

大好きで、大好きで、私の大好きな人たちがもっともっと愛されて欲しい。

もっともっともっと愛されていい人たちだ。

あの、愛に溢れたオーラスの空間で、ただそれだけを思ってずっと泣いていた。

 

私はあの日を忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

※これを書いていたらえびコンとか、Jr.コンとかサマパラとかJUMPコンのレポが流れてきて、それぞれのファンが泣いたりそのコンサートを特別と言っていたりこんなエモいライブみたことない、自担サイコーって言ってて、別にNEWSだけが湿っぽいわけでも宗教ぽいわけでもないな!ってまたふりだしに戻るなどしていますが書いたのでアップします。笑