桐ノ院整体院

浮気どころか不倫だぞと罵られ隊

インターネットが好きだなぁという話

初めてインターネットの人と会ったのは2001年だった。

インターネット黎明期だった90年代から2000年初頭。大学生だった私は、好きだった漫画の二次創作サイトや、当時流行していたテキストサイトなどを日々巡回していた。

当時はまだ多くの人にとってインターネットというものは「新しいもの」だったので、おっかなびっくり使っていたと思う。掲示板やチャットなどで知らない誰かと交流することはあったものの、その人たちと会うとなるとかなりハードルが高かった。だから初めてネットで知り合った人と会うことになったときは色々な友達に「大丈夫? 危なくない? なんかあったら電話しなよ?」と念をおされたのを覚えている。(ちなみに携帯電話も、ようやくほとんどの人が所持するようになってメールの文字制限がなくなった頃だった)(それまでは全角50文字しか入力できなかった)

 

初めて会ったネットの中の人たちは、アンパンマンファンの女性たちだった。当時の私は「アンパンマンの擬人化」というニッチなジャンルにハマっていて、アンパンマンの二次創作をしているサイトの掲示板に入り浸っていた。アンパンマンは毎年夏に映画が公開される。掲示板の常連みんなで、今年のアンパンマン映画を見に行こう、となったのが人生初めての「オフ会」だった。

今ふりかえってみると「いくらネットで頻繁にやりとりしていても、個人情報を明かすのはおっかないよね」というのがその時会ったメンバーの共通認識だったのだろうな、としみじみ感じる。その日私たちは、集まって映画を見て、飲みにいって、楽しいからもう一件、とカラオケに行き、アンパンマンの歌を片っ端からいれて超盛り上がって解散した。私はメロンパンナちゃんのメロメロパンチの歌を歌った。5人ほど集まったその会で、携帯番号やメアドを交換した人はひとりもいない。みんながみんなハンドルネームのまま呼び合い、それ以上の情報はなにも得ないまま、また日常に戻った。

 

ネットの人と会うの、別に掲示板でやりとりするのと変わんないな! と気が大きくなった私は、次のオフ会へ行った。当時アンパンマンと平行して熱中していたジャンル、フードファイター(大食い選手)を囲む会である。

若い方はご存じないかも知れないが、2000年初め頃に、大食い番組がブームとなり大食い選手たちがアイドル的な人気を得ていた時期があった。あるフードファイターが大好きだった私は、やはりファンの集うサイトの掲示板に入り浸り、ついにオフ会へ行ってみることになった。

 

ただ、この日のオフ会はアンパンマンの時と少し違った。現役のフードファイターを招く会だったのである。そして私以外の参加者は、いわゆる「現場に行くタイプのオタク」だった。全国各地で行われていた大食いのイベントへ、推し選手を見るために動き回っている人たち。その界隈では有名な方々で、参加者たちは皆顔見知りだったし、フードファイターたちにも認知されていた。認知されていたゆえ、本人が来てくれるという夢みたいな会が普通に行われていたのである。

テレビで見ていたある選手が目の前に表れ「まずは肩慣らしに」とマックのハンバーガーを20個食べてくれた。途中で飲み物が足りなくなって「コーラ買ってきて」と言うのでファンの方たちが買いに行き、「オマケ付けといたよーw」とコーラの他にハンバーガー5個を添えて戻ってきた。彼は苦笑いしながら普通に平らげ、そのあと彼がバイトをしているという居酒屋で宴会をし、私たちが残した宴会料理も全て彼が食べ、やはりカラオケに行って解散した。

この日はハチャメチャに楽しかった、なんならアンパンマンの時よりもノリがあう人ばかりで本当に楽しかったけれど、若干寂しさを感じたのも覚えている。私以外のオタクたちは、現場で何度も会っているし、もはや普通に仲のいい友達のようだった。この前はどこどこの大会に皆で行ったんだよ~という話を聞きながら、いいなぁ、と思った。ネットやテレビでしか見たことのない場所に、この人たちは行ってるんだなぁ、いいなぁ、と。

それでもなぜか「自分も行ってみたい」という発想がこの時の私には生まれなかった。高校大学と東京に通っていたとはいえ、通うのに3時間かかるような田舎にずうっと住んでいたからか、なにかを追っかけたりするのは違う世界の出来事のように眩しく現実感のないことだったのだ。今にして思えば、暇だけはやたらとあったし都内の友達の家を泊まり歩いたりもしていたから、追っかけようと思えば簡単に出来ていたのだけれど。当時の私はその世界を知らなかった。

 

それから数年後。社会人になり、色々あってひきこもって暮らしていた私は、漫画を買うくらいしか趣味もないような生活をしばらく送った。インターネット界隈は個人サイトからブログの時代へと推移し、かつてオフ会に参加したサイトたちも続々と閉鎖され、インターネットの人と会うこともなくなった。

そんなひきこもり生活がピークだった2006年に、のちに夫となる人に出会った。浦和レッズサポーターの夫と出会い、一緒にサッカーへ行くようになった私は、ここでようやく「現場へ行く」という世界を知ることとなる。

 

そして更に数年後、ロザンに出会った。

ロザンに出会ってからの経緯は以前に長々と書いたので割愛するが、とにかくこのことがきっかけで、私は再びインターネットと密接に関わることになった。

ロザンのことをブログに書きまくっているうちに読者が増え、「会いたいです」と声をかけてもらうことが増え、ライブに行けば誰かに会い、その輪がどんどん広がった。ライブに行きまくるものだからファン仲間とも頻繁に会うようになり、もはやロザン関係なく遊んだりするようになった。かつてフードファイターのオフ会で「いいなぁ」と羨ましく思った関係性。それを得てから私にとってインターネットはそれまでよりずっとずっと大切で、もっともっと大好きなものになったのである。

その流れの中で、私は今までのインターネット経験史上最も愛するコンテンツと出会うのだ。

 

 ◾Twitterが大好きだ

ロザンの宇治原さんが番組の企画で1日だけTwitterをやる、という情報が確定した瞬間、ロザンファンは一斉にTwitterのアカウントを取得した。もちろん既にTwitterをやっている人もいたが、基本的に年齢層が高く流行りものにすぐ食いつくタイプではない多くのロザンファンたちは、もう笑っちゃうくらい同じ日に、わかんないわかんないこれでいいの? と言い合いながらアカウントを取りお互いをフォローした。2010年1月のことである。

番組をリアタイしながら、番組のために作られた宇治原さんのアカウント(結局本当にその1日しか稼働しなかった)にリプなどを送り、祭りはあっという間に終わったが、我々ファンの日常にはそのままTwitterが組み込まれていった。

今までロザンの現場でしか会わない、むしろ現場でも会ったことのないファンの方々が、朝から夜まで誰かしらが何かを呟いている。もちろんロザンのことも呟くが他の趣味や生活のこともお話されてるのを見て、意外な共通点に気付いて盛り上がったりする。これまで「ロザンファン」としての輪郭しか見えていなかった人物像が情報量を増し、グッと色濃く実体として浮かび上がってくるような感覚が面白くて、私はすっかりTwitterが大好きになってしまった。今までインターネット黎明期から経験してきた、掲示板やmixiやブログよりもずっと適当で、好きな情報をリアルタイムで取得できて、しがらみが少なく自由なTwitterは、人間がだいすきでいいかげんな性格の私にはぴったりだったのだ。

 

実家のリビング的な感覚で毎日ダラダラとTwitterに居座っていると、オタクとの縁がずっと続いていく。ひとり、またひとりと、ロザンの沼から他の沼へとジャンルを移動するフォロワーさんが現れても、一度繋がった人のことは基本的にずっと大好きなのでリムーブすることもない。今までだったらサイトが無くなったり、ブログが閉鎖したりしてしまえば縁が途切れがちだったのが、日常の延長線上にあるTwitterのおかげでそのままネットでの付き合いは続くようになった。そうこうしているうちに、長年のフォロワーさんの影響で私はついにジャニーズに、NEWSに出会ったのである。

 

大好きなTwitterきっかけでNEWSを大好きになり、大好きなNEWSのことを大好きと言いまくっていたら、NEWSを大好きな人が集まるようになった。

ありがたいことにフォロワーが増え、実際会って仲良くしてくれる人が増え、Twitterライフはますます楽しくなった。

 

昨年からもうずっと長い間、どう考えても楽しくない話で一部Twitterが盛り上がっている。一部だったそれがヒートアップして、ついに大勢力になるまで、おめでたい私のTwitterはずうっと楽しいことしかなくて、正直そんな話があることも知らなかった。さすがに大事になったので事の経緯を調べまくってみたけれど、調べれば調べるほどバカバカしくて脱力してしまった。私の人生はおそらくもう折り返し地点くらいなので、楽しくないこと、好きじゃないことに1秒だって時間を割きたくない。仕事などの、やらなきゃいけないことに費やす時間は仕方ないけれど、好きでやってる趣味において無駄な時間を割きたくない。ただでさえ好きなもの見たいものがありすぎて時間が足りないのに!

 

というわけでどうでもいい話には興味がないので、一通り把握した後は、自分が好きなものを好き、って言うだけの今まで通りのTwitterライフを送っている。そんな私と仲良くしてくれている人は、私と同じようにおめでたいので、私のタイムラインは特に何も変わらず平和なままだ。ちなみにここ数日のタイムラインの様子はというと、手作りバター(生クリームを振って作る)作成時にふさわしいジャニ曲のセトリを皆が競って組んで、そしてバターを作成して笑っている。意味がわからないけどただひたすら楽しい日々だ。

 

とはいえ、傷付いていないのかと聞かれたら、そんなわけないでしょう、としか言いようがない。間違っても誤解をしないで頂きたいのは、私はNEWSの4人に傷つけられたなんて一ミリも思っていないということだ。私は誰かを嫌いになったり怒ったりすることがハチャメチャに苦手で、だから嫌いとか怒りの感情を表してる人を見るのも苦手である。というかその類いの感情が正確に理解できていないと言った方がいいかもしれない。「負」の感情にこんなにも怯えてしまうのは私に人間として何らかの欠落があるのかもしれないが、おそらく生い立ちとか今までの人生の積み重ねで形成された性質なのでどうしようもない。とにかく、そんな私にとって、事態を把握するためとはいえ負の感情渦巻くインターネットの大海を泳がなければならなかったのは、たたただ辛い、悲しい、苦しい、そしてバカバカしいとしか言えない時間だった。

 

それでも。インターネットで傷付いた心を救ってくれたのもまたインターネットで出会った人たちなのである。

 

morningproject.hateblo.jp

 

ちょうどメンタルがズタボロだったときにこの「小山会」が行われ、小山担の私は「正妻なのでスペシャルゲスト」として呼んで頂き、小山さんのこと、シゲちゃんのこと、てごちゃんのこと、増田さんのこと、NEWSのこと全員を大好きな人たちで寄り添い合ってハガキを書いた。みんなメンタルズタボロなのに、会ってNEWSの映像を見たらどうしたって笑顔になってしまって、ゲラゲラ笑いながらたくさんハガキを書いた。

余談だがこの日はロザンのトークライブもあって、私は小山会を一時的に抜けて新宿のルミネtheよしもとへロザンを見に行き、そしてまた終電までハガキを書くため小山会へ戻った。もう長い付き合いになるロザンファンの方々は終演後、ご飯の誘いを断って「ハガキを書きに行く」と訳のわからないことを言う私に、凄く優しい言葉をかけてくれた。誰も小山さんのことを悪く言わなかったし、ハガキを書く私をバカにしないでいてくれたし、私と同じように悲しい顔をしてくれて、あなたが好きな人なんだからきっと大丈夫だよ、と言ってくれた。

私にとってインターネットは、そこで出会った人は、かくも優しいものである。

楽しいことを分かち合い、辛いときは手を差し伸べてくれる。あるいは、遠くでそっとしておいてくれる。毎日あらゆる感情と情報が流れていく中で、どの人とどう付き合っていくか、いかようにも距離感を調整できるツール。その気楽さが本当に好きだ。

 

同調圧力」の正体は

ところでこの2ヶ月、いつものように能天気なツイートをしつつハガキを書いたりCDをたくさん買ったりしていたら、チラホラと聞こえてきた言葉がある。

「なんだか、ネガティブなことや悪いことを言っちゃいけないみたいな同調圧力を感じる」

というものだ。

 

同調圧力Twitterにいると、時々その言葉をこぼす人を目にする。

例えば2年前のNEWSのコンサート「Quartetto」の時は、セトリや演出に満足できなかった方々が「みんな褒めてばっかりで、ここが好きじゃなかったとか良くなかったとか言えない雰囲気が窮屈。同調圧力だ」と言っていた。その時と同じようなざわつきを、ここ数ヶ月も感じている人がいるように思う。

 

あくまで「Twitter上における、なにかのファンのコミュニティにおいては」という前置き付きではあるが、この「同調圧力」というものは幻だと私は考えている。

 

tounoin.hatenablog.com

 

ちょうど1年前にこちらの記事の前半部分で同じようなことを書いたので今回は長々書くのは割愛するが、調べてみると『特定の集団において、少数意見を持つものに暗黙のうちに多数派意見を強制すること』が同調圧力の定義とのことだ。なるほど、確かに直接誰かに「君の意見はおかしい!こちらに合わせろ!」と言われなくても、自分の所属しているコミュニティの大多数が自分と異なる意見を持っていたら、無言の圧力を感じることだろう。

だけどTwitterのコミュニティ、すなわち自分がフォローしている人って、自分が選んでいるんですよね、当たり前だけど。

自分の選んだ人たちの中で、自分だけが少数派だと感じてしまうようになったら、そのコミュニティ以外のところに目を向けてみればいいのではないだろうか。「少数派」と思い込んでいる意見が「多数派」であるコミュニティも、その折衷案みたいなコミュニティも、必ず存在する。そう、まさに現在の「お花畑アカ」と「愚痴アカ」のように。

Twitterなんてフォローするも外すも気楽なツールなんだから、自分が一番快適なようにカスタマイズすればいいだけの話で「圧力」なんて勝手に感じる必要はないのだ。

(だから私は別に愚痴アカの存在は否定していない。自分が選ばないコミュニティ、というだけだ)(もちろん通報対象となる差別的発言、侮辱、名誉毀損などがなければ、の話であるが)

 

とはいえ。とはいえ、だ。意見が合わなくても、それでもそのコミュニティ自体は嫌いになれないんだよ~~! ということもあるだろう。特にオフ会やらなんやらで直接会っていたり、特定の意見以外のところでは気が合うままだったり、これからも付き合いを続けていきたい相手がいるなら、尚更。

その人たちに反対する意見を言って傷付けてしまうのがこわい。その人たちに嫌われてしまうのがこわい。

 

同調圧力の正体は、あなたの優しさだ。

あなたの優しさであり、臆病さだ。

同調圧力は幻だけれど、あなたが人であり、人と関わっていきたいと考えるが故の、尊く確かな感情なのだ。

 

個人的にTwitterは、その感情を大切にしつつ、圧力から遠ざかることを両立できるツールだと考えている。

私は自分が多数派だなんて全く思っていない。むしろ少数派だろう。だからといって多数に合わせることはないし、少数派です! と自ら表明することも基本的にない。言いたかったら言うし、言いたくないことは言わない。それだけだ。「言いたいこと」と「言わないこと」の区別はわりと「これを言ったら誰か傷付くかな」という観点が入っている。言いたいけど誰か傷付けそうだからやめとこう……みたいなこともたくさんあるが、それを「圧力」とは思わない。私が言いたくないだけだ。

それと同じで見たくないツイートが時々目に入っても、それは私が見たくないだけなので「そんなツイートするな」とは思わないし、それが不条理な言いがかりなどでなければその人に幻滅することもない。ああ、私とはこれについては考えが違うんだな、と思うだけである。

 

ただ、今は本当にメンタルがフニャンフニャンなので、自分のTLに「見たくないもの」が流れてくるのを達観できる余裕がない。そのため、ここ2ヶ月ほどで本当に色々な人をミュートした。直接会ったこともあって、その人のこと自体は大好きで、これからも会いたいと思ってても、今回の件のスタンスが自分にとって辛い人たちのことはそっとミュートした。「その件については」「今は」距離を置くべきだと思うから。人と人として良い関係を続けていくために、全部が合う必要なんてないので、立ち入らないほうがいい部分は避けて好きな部分を広げていく。Twitterはそのあたりの距離感が調整できるので、やっぱり私はとても好きなのだった。

 

 

最後に。

さんざん「怒っても呆れてもいない」というようなことを言ってきた今回の諸々の件。ふわふわとしか触れていないし、この先もインターネット上で自分の考えたことを語るつもりはないが、ほんの一部だけ。

一言でまとめると「世の中には色んな世界があるからなあ」とだけ私は思った。

今までの人生経験、人脈、見てきたもの、色々なことを総合したら、そこにしか行き着かなかった。

「いい大人でお花畑の人はなにやってんだよ、若い子に、彼らがどれだけ非常識で狂ったことをしてるか教えてやるのが大人の役目じゃないのか」というようなことを言っているツイートを目にしたことがある。確かに仰る通りだ。

だけど世の中には、本当にたくさんの社会があって、仕事があって、私のようないち会社員では信じられないような「常識」の世界で生きている人がいて。どの世界の常識が正しくて、どれが正しくないかなんて、私にはどうしてもジャッジできないのだ。自分がいるこの世界以外が「おかしい」とはどうしても言い切れないのだ。

色々な世界の「常識」を、常識だからとか慣例だからで済ませていいかはまた別に議論されていくべき問題で、議論の結果変わっていくこともあるだろう。(例えば私が昔勤めていた業界は、得意先への接待が当たり前の世界だったが、現在ではルールが厳しくなりほとんど無くなっている)

ただ、自分とは違う世界で懸命に生きている人達のことを、自分の常識からは外れているからといって見下したり、バカにしたり、非難したりはしたくないなと思って私は生きている。それは、ただ暮らしているだけでは出会わないようなコミュニティの人たちと、インターネットを通じてたくさんたくさん出会って、私の知らない話をたくさん教えてもらってきたからかもしれない。

そんな私がこの件で若い世代に伝えられるのは「あなたが今いる世界だけが世界じゃないよ」ということくらいだ。

Twitterのコミュニティも、学校も、職業も、数えきれない世界がある。私たちはその多種多様な世界から自分の居場所をいつでも選ぶことができる。そして全ての世界は自分と同じ、ひとりの人間の集まりだ。そのことを忘れず、あらゆる世界に敬意をはらいたいなと個人的には考えている。

 

こう書いても言葉が足りなさすぎて、きっと私が思っていることは伝わらないし、真意とは違う風に受け取られてしまうかもしれない。誰かを傷付けてしまうかもしれないし、きっとこんなことを考えているのは少数派だろう。

だけどなんとなく書きたくなったから書いた。それ以上でもそれ以下でもなく、特別な意味もない。

 

自分の世界を広げてくれて、より愛しいものにしてくれるインターネットが、私は今日も大好きなのだった。

 

悪はどこにありますか

前回のブログで私は、今回のNEWSの一連の出来事に対しての見解は省略した。「擁護できないことも、擁護したいことも、とにかく悲しいこともある」とだけ書いた。省略したのは、単にそこを掘り下げてしまうと文章が煩雑になってしまう(ただでさえ私の文章は長いのに)からで、細かいことは改めて別エントリにするつもりだった。

そうこうしていたら追撃を受けた。正直いま、なにかを語る気持ちになれない。私は彼らに怒っても呆れてもいなくて、相変わらず好きで好きで彼らのことが心配でどうしようもないだけだ。ただこの世の悪意という悪意を浴びて胸焼けしている。辛酸を舐めすぎてゲップが出そうだ。

悪意。そう、悪意?

これは悪意なのだろうか。それともあくまで「正義」なのだろうか。「悪」を暴こうと「正義」のもと、振り下ろされている鉄槌なのだろうか。

 

 

いま私は、金八先生ファイナルを見ている。

岡本圭人演じる景浦裕也という問題児をクラスから排除しようとする生徒たちに、金八先生が「悪について」説教をするシーンを見ている。

 

いま自分の言葉でなにかを語る気持ちになれないので、この金八先生の演説をまるっと書き起こすことで、今日をとりあえず終わりにしたい。

 

 

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初めてDA PUMPを観たのが2018.6.7という日だった意味

2018.6.7のことをただつらつらと書く日記。

 

このブログを読んで下さっているジャニオタの皆様の中には、まだ10代や20代前半の方も多いだろう。最近、そのような若いフォロワーさん方にDA PUMPの話をしたら通じなくて驚愕した。でもよく考えてみたら、彼らがデビューした1997年には、いま二十歳の子は生まれてもいないので知らないのも当然なのだ。

90年代後半、安室奈美恵さんのヒットもあり、沖縄アクターズスクールという養成所出身のアーティストが一気に脚光を浴びた。SPEED、MAXなど女性グループが活躍するのと同時期に誕生した、男性4人のグループ。それがDA PUMPだった。

 

DA PUMPのデビュー当時高校生だった私は、キャッチーな楽曲とISSAの歌唱力には元から惹かれており、普通に好意をもっていた。

その好意が大きくなったのは大学1年の時。当時好きだった男がDA PUMPのあるメンバーに少し似ている、という世にもくだらない理由で録画した音楽番組の映像をひたすら見ていたら、どんどんDA PUMPのことを好きになってしまったのである。

とはいえ、当時の私は「好きなものをライブで見に行く」という発想がなかった。音楽番組に出た際に録画して何度も見るくらいしか術のない茶の間のファンだった。そうこうしているうちにグループは人数が減ったり増えたりしていき、テレビでの露出もあまりなくなり、こちらも就職、転職、結婚と人生の激動期だったのもあいまって彼らがいったいどんな活動をしているのかを知らぬまま日々は過ぎていった。

 

数年前、ふと思い立って彼らがどうしているか調べたら、なんやかんやあってメンバーは7名となり、オリジナルのメンバーはボーカルのISSAだけとなったが、1からのスタートとして全国のイオンなどのショッピングモールでライブを行っていたことを知った。動画サイトに載せられていたのは、かつて5年連続紅白に出ていたほどのグループがイオンのフリースペースで歌い踊る姿。その落差に衝撃をうけたものの、なにより衝撃だったのはそのパフォーマンスの素晴らしさだった。ボーカルISSAの声は全く衰えておらず、むしろ進化している。それを彩る超一流のダンサーたちのキレキレの踊り。オリジナルの4人を好きで、ブランクのあった私でも、この7人を見に行きたいと思わされる圧倒的な魅力があった。

DA PUMPから離れていた間に私は「ライブに行く」というスキルを身に付けた。なんなら必要以上に身に付けてなんでもかんでも軽率に見に行く尻軽さである。

いつか今のDA PUMPを見てみたいな。そう思って、しかし新曲が出ないまま、また数年が経った。

 

 

DA PUMPが3年半ぶりに新曲を出すけどジャケットがダサい。

この数年の間に「ジャニオタ」という属性まで身に付けてしまった私のTwitterに、そんな情報が入ってきたのが先月のことだった。ほどなくしてMVの映像が流れてくる。絶妙にダサいのに、尋常じゃなく上手いボーカルと印象的なダンスのその曲は、瞬く間に話題となっていった。

実はジャニオタにはハロプロのオタクを兼任している女の子が多い。ジャニオタとして仲良くしているフォロワーさんたち、しかもDA PUMPを見ていた世代ではない若い子たちが、毎日DA PUMPの新曲「U.S.A.」の話をするようになったのを見て、私の20年間の気持ちがぶわーーっと甦ってきた。

え!? リリースイベントがあるの? うわっ千葉でもやるじゃん! 仕事帰りに行けちゃうじゃん!? 行ける、行こう! やっとDA PUMPを生で見られる!!

 

そして昨日、私は初めてDA PUMPを見るべく、船橋ららぽーとへ向かったのである。

 

当初は、仕事帰りにフラッと立ち寄ろう……と思ってたのだが、私がDA PUMPを好きだったことを知っている同世代のフォロワーさんに「せっかくだから梓さんにはISSAと握手してきてほしい、20年前の梓さんのためにも」と背中を押されたことで、半休をとって優先観覧席のために並ぶことにした。

CD販売と優先席の整理券配付は16時から。イベントは18時から。

12時半過ぎに待機列に行ってみると、私の前には20~30人ほどのDA PUMPファンの方が既に並んでいた。最後尾の方に「これはDA PUMPのイベントの列ですか?」と伺うと、そうだと教えてくれて、そのまま色々と話をしてくれた。

ママ友達と来ていたその方は私と同世代で、4人時代からずっとDA PUMPを好きで、現体制のメンバーも好きで、何度かライブにも行っているという。この方が本当に本当に良い方で、そのまま4時間の長い待ち時間をずっとお話して過ごすことになったのだった。

色々と話をしている流れで「私、普段はジャニーズをメインに追いかけてるんです」とお伝えしたら、当然ではあるが「へー! どのグループですか?」と聞かれた。

 

ーーー瞬間、DA PUMPのイベントに集中しようと思って頭の隅っこの方へ追いやっていた感情を思い出して喉がヒュッとなった。

「……ちょっと昨日から世間をお騒がせしてるんですけど……NEWSです」と苦笑いしながら答えると「あぁ……今たいへんそうですね…」と返された。ああ、やはり、一般の方にも伝わっているのだ。と、また喉の奥の方が締め付けられたようになった。

 

リリイベの前日、つまりおととい、私の自担とそのシンメが文春砲をくらったことが判明した。単なる熱愛スキャンダルならいつも通りなんのダメージも食らわず無視するのみだったが、「未成年」「飲酒」「強要」とこのご時世に一番やったらまずい単語が並んでいて、情報を知った瞬間一気に血の気が引いて駅のホームで座り込んでしまった。今までのスキャンダルとはわけが違う。NEWSが、なくなってしまうかもしれない。という恐怖が全身を襲う。不安で不安で不安でどうにかなりそうな中、なんとか仕事をして、帰って倒れるように寝てしまった。

 

そんな精神状態で迎えたリリイベ当日だった。午前中仕事をしている間にポツポツと、文春ほか女性週刊紙の情報が入ってきた。蓋を開けてみれば文春はネットで流れていた情報をそのまままとめた程度の薄い記事だったし、女性週刊紙は「女性側が二十歳と偽っていたのは確か」として、同情的ですらあった。

この件についての私の考えは今ここでは詳しく述べないが、到底彼らのことを擁護できないと思う点もあるし、めちゃめちゃに擁護したい点もあるし、根本的な部分で寂しくて悲しくてむなしくてたまらなく思う点もある。ただひとつはっきり言っておきたいのは、私は4人が大好きで、4人全員が大好きで、それだけはブレることがないということだけだ。

ともあれ、本人たちが未成年と知らなかった、という事実は大きい。であれば、昨日想像してしまった最悪のシナリオは逃れられるかもしれない……と、イベントに行ったこの時点ではわずかに落ち着きを取り戻していた。

 

DA PUMPファンの方々にそんなことをポツリポツリと吐露したところ、彼女らは優しく聞いてくれて、全く責めないで、暖かい言葉をかけてくれた。そしてこう言った。

「もう私達くらいの歳になると、熱愛もどうぞどうぞって感じだし、彼らが毎日幸せで生きててくれたらそれでいいよ~ でもたまに曲だして私達の前に出てきてくれたらうれしいな! くらいの気持ちなんですよね~」

「究極、グループさえ残してくれたらいいんですよ。なにがあっても、グループさえ存在してれば、またきっと会えるから」

 

相次ぐメンバー脱退。活動休止。ISSAのスキャンダル。何年も出ない新曲。ショッピングモールでの営業回り。どことなくギクシャクしていたメンバー間。かつて一世を風靡したDA PUMPは、ここ10年以上を傷だらけの状態で歩んできた。だけどずっと「DA PUMP」という名前は残してきた。オリジナルメンバーがISSAひとりになったとき、もうこのまま看板を外した方がいいのではという声もあった中、「ISSAがいるうちはDA PUMPでいいんじゃない」と社長に言われて吹っ切れたというISSA。ISSAと新しいメンバーが残してくれたDA PUMPは、今年、ついに再ブレイクした。

 

「最近のDA PUMPは、メンバーみんなが嬉しそうで楽しそうで、長年好きだった人たちのそんな姿が見られるこの毎日が本当に幸せなんですよ。本当に、続けていてくれたからこそ見せてもらえた景色です。ありがたいです」

 

そう笑うDA PUMPファンの方の穏やかな声を聞いて、ああ、そうだ。私の願いは結局これなのだ。と思った。4人がただひたすら大好きだというだけの私の願いは、4人が幸せでいてほしいということ。4人がNEWSとして、NEWSのまま、幸せで居続けてほしいということ。それだけだ。

 

 

DA PUMPファンの方のお話で少しばかり穏やかな気持ちになったところで、いよいよ整理券配付の時間が近づいてきた。そんなタイミングで友人から「大丈夫ですか」と一言LINEが来た。文春のことかと思った私が「だいぶ落ち着いてきたよ」と返すと「え。報道今ですよね」と返事。

ざわっ。と背筋が凍り、鳥肌をたてながら震える指でTwitterを開いた。

物凄い勢いで流れていくTLと「活動自粛」の文字。

 

 

なんで今。私はいま、ようやく切り替えて、DA PUMPを見ようとしていて。

なんでこんなタイミングで。

 

一緒にいてくれたDA PUMPファンの方々がいたから、なんとか立っていられた。ひとりだったらもう帰ってしまってたかもしれない。初対面の、親切な方が目の前にいる、という状況が、なんとか私のなかの社会性を引き出して思いとどまる。

わたし、どんなテンションでイベント見たらいいんでしょう……と言ったら、大丈夫ですよ、きっと楽しめるから! 整理券うけとったら、また集合時間に会いましょうね! DA PUMP絶対かっこいいですから、きっと一瞬でも気が晴れますから! と親身になって励ましてくれた。そうだ、帰るわけにいかない。私はいま目の前のイベントを楽しむのだ。いつだってそうしてやりすごしてきたんだ。

 

 

整理券をもらって、集合時間までの一時間半の間、Twitterを追う。

処分の内容、事務所のコメント、小山さんの謝罪。ほぼ完璧な対応だったと思う。現時点での最適解だと思えたし、おかげでむしろ、前日より安心すらした。

まだ金曜日のビビットと月曜日のPONが残っており、自粛する小山さんよりある意味厳しい立場のメンバーへの心配はあるものの、最速でひとつの区切りがついたことは幸いだった。おかげでイベントが始まる頃にはだいぶ冷静さを取り戻していた。本当にevery.があって、藤井さんがいてくれてよかった。暗に復帰を信じてくれているかのような藤井さんの叱咤激励、本当にありがたかった。

 

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 DA PUMPが出てきてからは、ただひたすらに最高で、自分が想像していたものの100倍最高で、もはや最高だった以外にほとんど言葉がでない。

 

U-YEAHくんのインベーダーダンス、KIMIくんのラップ、TOMOくんのステップ、YORIくんの汗、DAICHIくんの笑顔、KENZOくんの瞳、ISSAの歌声。

 

終わって、全員と握手をした。終了時間が決まっていたからか、わりと巻きで行われていて、物凄いスピードで剥がされてしまうのでひとりひとりに合わせた声をかける余裕はなかったけど、全員に「ありがとうございました」と言って手を握ると、皆じっと目を見てにっこり笑って、両手で握手をしてくれた。

一番最後がISSAで、ありがとうの前にどうしても伝えたかったから「初めて来ました!!」と言った。ISSAは手を握ったまま目を見開いて「そうなんですか!」と言ってくれた。

「また来ます!!」

「はい!ありがとうございます!」

剥がされながらも、笑って答えてくれたISSAを目の端にしっかりととらえ、そして流れていった。

 

私よ、19歳の私よ。信じらんないかもしれないけど、あんた19年後に、ISSAと握手するんだよ。

VHSのビデオテープに録画した「We can't stop the music」を繰り返し見ながら、振り付けを覚えようとしていたかつての自分の後ろ姿を思い出して語りかける。バイトから帰った深夜2時、ルームシェアしていた同居人を起こさないよう気を付けながら、真っ暗なリビングで、最小限のボリームで何度も何度も録画を見ていたあの日の自分を抱き締めたくなる。ISSAがね、DA PUMPを続けてくれるからね、ずっとずっと後に会えるよ! って。

 

そしてその時の記憶を軽く超えてくるほど、ISSAの歌はとてつもなかった。あれだけ踊っていてあの声量でまったく揺らがぬ音程。もしかしたら過去最高に今が歌うまいんじゃないか。40歳で更に声に伸びが出てきてるってどういうことだ。

わかっている、それだけのトレーニングをしているからだ。プライベートとか平成の火野正平とかどうでもいいと思わされる、すべての邪念をねじふせる圧倒的なパフォーマンス。DA PUMPを続けてきて、これからもDA PUMPとして歌い踊り続けるために、どれだけの努力を重ねているか、見たらすぐにわかる。

 

ああ、画面越しにしか見たことのなかった人が、一歩前に出て手を伸ばせば触れる距離で歌っている。有無を言わさぬ輝きで。そうだよ、なにがあったって、パフォーマンスで魅せてくれれば、アーティストは死なない。輝くんだよ。

慶ちゃん、慶ちゃんは今年、そのフェーズに立ちつつあったよね。

誰が見てもパフォーマンスが向上していたEPCOTIAの慶ちゃん。色んな声をはねのけるほどに、輝き始めてた慶ちゃん。生まれ変わったからと言ってくれた慶ちゃん。

知ってるよ、慶ちゃんが生まれ変わったのを知ってるよ。あの姿が嘘じゃなかったこと、見たからわかってるよ。それなのに、せっかく変わっていこうとしていたのにその矢先にまた突き落とされて、今あなたの心がどれだけ折れているかを思うとこわい。

だけどパフォーマンスは嘘をつかないから。慶ちゃんがこれからまた、更なる向上と飛躍を魅せてくれれば、おのずとまたみんながついてくるから。

 

正直いまは私も、自粛明けの味スタの想像ができない。もしevery.に戻れるとして、その復帰姿は想像できる。NEWSな2人や、少プレなんかも想像できる。

だけど味スタだけは、4人で予定通り決行できたと仮定してみても全然想像ができないのだ。お前ら声出せんのかァ~って慶ちゃんはいつものように叫べるのだろうか。その時ファンは純粋にイエーイって言えるのだろうか。大好きだったABOのウリャホイを聞いて、私は今回のことがよぎって胸が痛んだりしないだろうか。まさか謝罪して泣いたりしないだろうかそれは絶対やめてほしいでもどうしたらいいかもわからない。

きっと、慶ちゃんが戻ってきてまたNEWSが歩き出せる唯一の方法は、こんな不安なんか殴り飛ばす勢いで慶ちゃんが輝くことなんだと思う。どんなに複雑な思いで味スタに向かっても、慶ちゃんの姿を見るだけでなにもかも吹っ飛ぶくらい素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることなんだと思う。

 

だからそのためには、どんなに折れてしまっても立ち上がってほしい。NEWSでいることを諦めないでほしい。NEWS全員に、まずはNEWSを残してほしいし、あらゆる過去も蔑みも怒りも悲しみも吹き飛ばすほど輝いてほしい。

 

 

慶ちゃん、シゲ、テゴマス。翔ぼうとするたび翼を折られて、もうほとほと疲れてしまっているかもしれない。特に慶ちゃん、なにもかも嫌になって自暴自棄になってもおかしくないと思う。もしかしたら諦めた方が楽になるのかもしれない。

だけどどうか諦めないでほしい。私は諦めないから。諦めないで、粛々と、毎日健やかに生活しながら、待っているから。CDを買って、葉書を出して、NEWSがNEWSとして残っていられるように、できることをとにかくしていくから。

 

 

そうして残ってさえいければ、いつか絶対あなたたちはまた輝く。

私はその景色を見るまでずっと、あなたたちを好きなまま、あきらめないよ。

 

 

 

2018.6.7

一番しんどい日に、DA PUMPが教えてくれた強い気持ち。

私の初DA PUMPがこの日だったのも、なにもかも、きっと意味のあることだったんだ。

DA PUMP、ありがとう。

 

 

NEWS、頑張ろう!!!!

 

 

みんな今こそ金八先生第6シリーズを見てくれ

シゲちゃん主演ドラマ決定おめでとう!

増田さん主演舞台決定おめでとう!!

 

やったーーーーー祭りだ!!!!!!

演技仕事ちょーーーうれしい楽しみ!!!!!!!

 

 

 

で、ここで質問なんですが、金八先生未履修の皆様、いつ見るの??? 

今でしょ!?!?!?

 

 

唐突にふた昔前のネタで煽ってしまいましたが、まだ金八先生第6シリーズ、すなわちシゲちゃんと増田さんが出演していたシーズンを見たことがないよ~という方は、ふたりの演技仕事が同時に決まったこのタイミングで見てみるの、なかなか趣があると思うんですよね。

……なんて理由をつけようとしていますが、正直以前からいつか金八のプレゼンしたいなと思っていたので個人的にいい機会だというだけです。Twitterのタイムラインで誰かが金八の話をしようものなら即リプしてしまう金八パトロールおばさんの私としては、こうやってなにかと理由をつけてひとりでも多くの人に金八を見せようとしているわけなのです。いろんな人と金八の話がしたいという私利私欲です。そんなわけで今日は金八をプレゼン、っていうかただダラダラと語ります。

 

 

■そもそも金八先生とは

 大多数の方がご存知かと思うが、金八先生とは武田鉄矢さん演じる中学国語教師・坂本金八が、学級担任をしている3年B組におこる様々な問題を解決していく学園ドラマである。

1979年から2011年までなんと32年間に渡って断続的に製作されていた。レギュラー放送は第1シリーズから第8シリーズまでの8つあり、シゲマスが生徒役として出演していたのはそのうちの第6シリーズ(2001年)である。

 

「シゲちゃんと増田さんが出てたのは知ってるけど、なかなか今から見るには腰が重くて……」という人は多いだろう。わかる。わかりみがすごい。

なぜなら金八シリーズは放映期間が10月開始の3月終了。1クール3ヶ月のことが多い連続ドラマの中では珍しい2クールでの放映なのだ。第6シリーズは全23回。そのうち3回が2時間スペシャルで、最終回は2時間半スペシャルなので、休憩無しで全部ぶっ通しで見てもざっと28時間半かかる。1日では終わらない……!

でも1日1話のペースなら1ヶ月で観終えることができるのだ。シゲちゃんのドラマ、増田さんの舞台どちらも7月なので、今から観始めれば余裕をもってそれまでに終われるのである。さあ、重い腰をあげるには今ですよ。

 

■なぜ今なのか

金八シリーズは、シゲマス共に、初めてガッツリと演技をすることになった仕事だと思う。シゲは金八以前にもちょいちょいドラマへの出演があったが、前述の通り半年間もかけて自分に与えられた役柄と向き合う機会というのはなかなか無い。今でこそたくさんの経験を経て「演じる」という技術を得ている2人だが、金八はまだ少年だった彼らが始めて演技という壁に立ち向かった時間がそのまま残されているのだ。

お世辞にも上手いとは言えないその演技は、しかし純粋で、羽化したての蝉の翅のように透き通って瑞々しく震えている。そんな少年時代の彼らの姿を見てから改めて、2018年最新バージョンの演技仕事を見たらきっと感激もひとしおなのではないだろうか。

 

■第6シリーズ

さて、第6シリーズとはどんな話だったのか。金八シリーズには「そのシリーズ放送当時の教育現場での問題点、世相をテーマにしたストーリーが作られる」という特色がある。例えば昭和50年代のシリーズでは非行や校内暴力の描写が中心となり、バブル崩壊後の第4シリーズはいじめや不登校が取り上げられた。

この第6シリーズは非常に盛りだくさんで、複数の重たいテーマが同時進行していくのが特徴だ。特に大きなテーマは2つあり、ひとつが当時ジャニーズJr.だった東新良和くんが犯罪加害者の家族を演じた「報道と人権」の問題。そしてもうひとつは、心は男性だが体が女性である人物を上戸彩さんが演じた、性同一性障害というテーマである。今でこそインターネットの普及と共に性同一性障害LGBTについての話題は一般的にも見られるようになったが、第6シリーズ放送当時の2001年はまだ今のようには情報が無かった時代である。このドラマをきっかけに性同一性障害という言葉を知ったという人も多かった。

 

またこのシリーズでは金八先生の息子・幸作が悪性リンパ腫で生死を彷徨うというストーリーもあり、前作である第5シリーズ(幸作は第5シリーズの生徒たちと同級生という設定だった)の出演者がたくさん出てくる。そのため個人的には第5シリーズと第6シリーズはシンメという捉え方をしている。もし第6シリーズを見るつもりで余力のある方は、第5シリーズから見ていただけるとより楽しめるかと思う。

ちなみに第5シリーズから演出を手がけている福澤克雄氏はあの「半沢直樹」や「陸王」の演出家の方で、福澤氏の演出の力もこのシリーズが名作と言われる所以のひとつであろう。(「金八先生の撮影中にシゲが携帯を鳴らしちゃって演出家大激怒事件」の演出家はおそらくこの方)(それがトラウマで今でもマナーモードを解除できないという話をシゲが何度かしている)

 

物語は、3年B組に成迫政則(東新くん)と鶴本直(上戸さん)という転校生がやってくるところから始まる。前述の通り、この2名それぞれの抱える問題が第6シリーズの2大テーマとして軸となっていく。

盛りだくさんの全23話の中でのシゲマスの役割を以下に紹介したい。

 

加藤成亮/長谷川賢

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ボーっとしてたら呼ばれてびっくりしたお顔。既に顔が完成されている……


愛称はハセケン。一言で表わすなら「スーパー完璧中学生」。

成績優秀、容姿端麗、父は弁護士。正義感が強く、優しく、さわやかで、誰にでも分け隔てなく接する。媚びへつらうこともなく、ダメだと思うことは友人でもはっきりと注意するような、自分の中に1本筋の通った男。あかねちゃん(平愛梨)というカワイイ彼女……もとい幼馴染もいる。

はっきり言って「こんな中3いてたまるか!!」と言いたくなるほど欠点がない人物である。

金八に出てくる生徒たちは、中学生らしくどこかに弱さや欠点を持っていることが殆どなのだが、ハセケンにはそれがほぼ無く、ひたすらに「まっすぐすこやかで、正しい」存在として描かれている。ハセケンがそういう人物であることが、この物語にとって重要な役割を果たすからだ。

 

ハセケンが深く関わることになるのは、2大テーマのうちの「鶴本直」にまつわるストーリー。直の性自認は男性だが、体は女性であるゆえ他者の理解を得られないと感じ固く心を閉ざしている。直はその名の通り真っ直ぐな心の持ち主で、卑怯な行動や不条理を許せない性質を持っているが、その正義感を攻撃的な形で表すしか術がない。そんな直が興味を持つのがハセケンだった。性同一性障害を抱えることで「自分をもつ」ことを誰よりも意識している直から見ても「正しく自分をもっている」ハセケンは、ハキハキをものを言いつつもクラスで浮くことなく、皆から慕われている。

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直のことをからかう級友を諫めるハセケン。顔が良い

 

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キレる相手に「…やろうぜ」と凄む。優等生だが戦いも辞さない正義感。あと顔が良い

 

直はハセケンと話がしてみたい、「男として」友達になってみたいと思う。そこでハセケンのメールアドレスをちょっとした仕掛けでゲットし、「yesterday」という架空の男子中学生としてメル友になるのだった。

 

ハセケンはおそらく、直にとって「こうありたい自分」の姿に近かったのかもしれないと個人的には考えている。そんなハセケンの存在と、他のクラスメートとの交流もあって直は徐々に変化していく。ここから先の展開は是非ご自身でご覧下さい。

 

 

まさにこの役は、当時のシゲに与えられるのにぴったりなものだったと思う。

このJr.時代のシゲは、かつて本人自らが1万字で「経歴はエリートです」と語っていたように、トントン拍子で仕事が与えられていた。中学受験をするから、とまさかの「受験休み」をもらったにも関わらず、青学に合格し復帰後もすぐに仕事がもらえる。そして周りからも「受かりそうだよね」と言われた金八オーディションに合格。このハセケン役で知名度も上昇し、まさにエリートコースを歩んでいたと言えるだろう。優秀でピラミッドの頂点のような存在のハセケンを演じるのには適任である。

しかしシゲはこの頃、エリートだった一方で「歌もダンスも芝居もなんにもできない」自分を自覚していたのだという。エリートコースを歩んでいるという、客観的な目線から見た自分のようなハセケンを演じる裏では、自分の実力不足を感じ葛藤していた。

金八を見た友人に「おまえの芝居だったら俺のほうがうまいと思う」と言われて本気でヘコんだこともあると1万字で語ったシゲ。

確かにね、ハセケン、セリフまわしがとってもたどたどしい。まだ少し幼さの残る声が余計に拙い印象を与える。

でも、何度も言うようにハセケンってスーパー完璧中学生なんですよ。文化祭の出し物で何をやるか大もめにモメてたクラスが、ハセケンの提案ひとつで言うこと聞いちゃったり、クラスが不穏な空気になったときにハセケンがリコーダー吹くだけでなぜか和やかムードになっちゃうくらいカリスマなんですよ。

正直このキャラ造詣を、めちゃめちゃ流暢に感情豊かに喋る人がやったら、めちゃめちゃイヤミでいけすかない野郎になってたと思うのだ。シゲの、あの時のあの演技でこそ、ハセケンというキャラはどこか不思議な空気感の、浮世離れした、憎めないキャラクターになったと思うのだ。ハセケンはこの時のこのシゲの演技だからこそ成立するキャラクターだった。これは別にファンフィルターのせいではなくて、ジャニオタになる以前から繰り返し言ってることなんだけども。

 

私のシゲとの出会いはハセケンだし、今でもしょっちゅう金八を見ているから、現在のシゲの演技に触れるとその高低差に毎回新鮮に驚いてしまう。最近だとNEWSに恋してのボイスを聞いて、そのあまりの上手さに「シゲどこでそんな青二プロの声優サンプルボイスみたいな声と演技覚えたの!?」ってなった。

どれだけトントン拍子でも自分の実力を過信することなく、冷静に客観視することができたことに加え、苦手意識をもって腐ってしまうのではなく貪欲に努力し壁を乗り越えることができたから今の演技がある。そしてずっと継続してその真摯な姿勢でいたからこそ、24テレビで得たヨシノリ先生という役への向き合い方が評価され、今回の主演に繋がったのだ。自分を客観視できる冷静さと、それを乗り越えようとする熱さを兼ね備えているシゲのことが大好きだなあ、としみじみ思う。

 

◼増田貴久/長澤一寿

 

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インナーはカラー派。顔がかわいい

金八先生には第1シリーズから「ジャニーズ事務所枠」がある。第1シリーズに出てたマッチさん、トシちゃん(田原俊彦さん)、ヨッちゃん(野村義男さん)が「たのきんトリオ」として人気が出たのが有名だが、その後のシリーズにおいてもジャニーズ事務所からは3名ずつ出演している。

(余談であるが、かつて人気が低迷していたジャニーズ事務所を救ったのが、この金八先生でのたのきんトリオの台頭だった。そういうこともあって金八シリーズは事務所にとっても長く大切にされてきた仕事なのだと思う)

この6シリーズにおいてのジャニーズ枠である成迫政則、長谷川賢はどちらも物語の中心的存在であるが、最後の一枠の長澤一寿(かずとしと読む)は、さほど目立つ生徒ではない。特に最初の方はあまりセリフも無く、どんなキャラクターなのかもいまひとつ掴みにくい存在であった。

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初セリフのシーン。嫌そうな顔もかわいい

最初のセリフのシーンは、難しい漢詩の授業を聞いて「あ~~そういうの、かったるいんだよね」と吐き捨てるというものだった。学ランの下にカラーTシャツを着ている生徒は、今までのシリーズにおいては不良枠というかちょっと反抗的な役柄が多かったので、ああなるほどこの子は不真面目なヤンキー役なのかなとこちらは考える。

しかし金八に「何がかったるいんだ?」と問われた一寿の反応はこうだ。

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「だぁって……」

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「意味わかんないもん」


……おべんきょ難しくていじけただけ?

かわいすぎでは???

 

これは私の想像だけれど、一寿は当初、ちょっと反抗的なヤンキー風味のキャラ設定だったのではないかと思っている。序盤、成迫や直が転校してきてクラス内にトラブルが起こった時も、一寿は特に誰かとつるむこともなく興味なさそうな感じで遠巻きに見ているだけである。なんとなく友情とか絆とか暑苦しいものはくだらねぇ、みたいな子なのかな? という印象だった。

だけど増田さん本人が元々持っているオーラが、圧倒的に健全そのものなのだ。増田さんの歌声が、どんな悲恋の歌を歌ってもどこか幸せの成分がまざっているように。

一寿というキャラクターは増田さんからわき出る「陽」のオーラに徐々にひっぱられていくかのように、途中からはひたすら屈託のない、素直ないい子として描かれていく。

そのキャラクターが決定付くのが第9話。三者面談で一寿は、キラキラとまっすぐな目をして、自分は自転車の選手になる。いつかツール・ド・フランスで優勝するんだ、優勝した者だけが貰えるマイヨジョーヌ(黄色いジャージ)を目指すんだ、と笑顔で語るのだ。そしてトレーニングも兼ねて自転車で新聞配達のアルバイトをしていると。

この「自転車少年」という設定によって、一寿は9話以降ちょいちょい出番が増えるようになる。ある生徒の家が家事になる事件では、ちょうど新聞配達で通りがかったためそれを目撃し、警察を呼ぶなど奮闘することに。不登校のクラスメイトと金八が一緒にいるところを通ったときは、優しく「待ってるからな」と声をかける。決して中心的人物ではないが、物語の随所に現れる一寿はストーリーテラー的な役割でもあるのだ。23話全て見終わる頃には、誰もがすっかり一寿のことを好きになっていると思う。卒業式の一寿のかっこよさ本当にやばいからマジでみんな見てくれお願い。

 

シゲとは対照的に「エリートではなかった」Jr.時代の増田さん。そんな増田さんがつかんだ金八というチャンスで与えられた役柄は、自分の好きなものを夢にしてまっすぐ進んでいく少年だった。これまた、職人気質で、アイドルの道を突き進む増田さんにぴったりの役だったなあと感じる。

 

◼3年B組

私はずっと金八を見てきたが、ずっと「金八先生が好き」とは言えなかった。教育論として肯定できるものもあればうーんと思うものもあったし、その他諸々ここでは言えない思いがあって「好き」と言ってしまうのには抵抗があった。

しかし今では「いや、これどうあがいてもドラマとしてめっちゃ好きだわ」と素直に認めている。教育がどうこうとか社会問題がどうとか、難しいことは全部すっとばしてただ学園ドラマとして見たときに、文句なく自分が一番面白く感じるタイプの作品だと気付いたからだ。

3Bには生徒が30人いる。上記ではハセケンと一寿だけを紹介したが、生徒ひとりひとりにきちんとキャラクター設定があって、そのどれもが愛しい。たくさんいる先生方も愛しい。人間が好きで、人間と人間が心を通わせる物語が好きな私は、そりゃ金八好きだわと思う。

30人もいたら誰にでもひとりくらいお気に入りの生徒が見つかるのではないだろうか。どうかこれから金八を見てみた方は、どの生徒がお気に入りになったか私に教えてください。ちなみに私が第6シリーズで大好きなのは信太宏文です。

 

半年かけて放送したドラマは卒業式で終わる。卒業式の後、金八先生は生徒ひとりひとりの名前を呼び、メッセージを送ることが定例になっている。金八が生徒へ贈るこの言葉は台本ではなく、武田氏のアドリブだ。それぞれの役柄へ贈られる言葉は、それぞれの役柄を生きた少年少女たちにもまた、贈られているように思う。

第6シリーズでは、中盤で「立志式」といって、毛筆で自分の志を書いてクラスの前で発表するというイベントがあった。金八はそれを卒業式でひとりひとりに返却し、言葉を添えた。

ハセケンと一寿が金八先生から卒業式に贈られた言葉を記して、この記事を終えようと思う。不思議とその言葉は、加藤シゲアキと増田貴久にも、ぴったりな言葉なのだ。

 

 

長谷川賢  志「上を向いて歩こう

(泣きすぎてボロボロの賢を見て)バーカおまえ、2枚目が台無しじゃねえか(笑)

上を向いて歩こう」。その通りだハセケン。辛いことがあったら青空を見上げて、瞳のなかにいつも天の青、青空の青、その青で瞳を染める人になってください。

 

長澤一寿  志「ツールドフランス制覇」

いいぞ! おまえだったらどんな坂道でもペダル漕げる! 俺はな、自転車漕いでるお前の後ろ姿が一番好きだったんだ。しっかりペダル漕げ、一寿!

 

 

 

……さあ、どうですか、見たくなってきましたか?

見たくなってきた貴方に朗報です!

来週からCS放送TBSチャンネルで再放送があります!!

 

2018.5/24(木)~6/12(火)

毎週(月~金)10:20~12:00[2話連続]

(5/31は11:10まで、6/12は12:30まで)

 

ね!! 今でしょ!!!

 

CSが映らない人はレンタルでもありますからね~!! ではでは!

目指す場所へ行くと決めたんだろう?

小山さんを好きになってから4度目の5月1日がやってきた。

 

 

去年の4月30日は本当に色々な思いを抱えた状態でエコパに行って、NEVERLANDで小山さんにファンサを貰って呆然としていたら日付が変わっていた。

エコパでの小山さんは、みんなからお祝いされて、シゲからの手づかみのケーキを食べて、とてもうれしそうだった。その後も続いたツアー。アリーナでもドームでも、小山さんのうちわはたくさんあったし、みんな小山さんへ声援をおくっていて、小山さんの様子も(少なくとも現場で見るかぎりでは)特に変わったところなく、いつもの可愛くて仕切り上手の愛されリーダーだったように思えた。だけどあのオーラスのアンコールでいつまでもお辞儀をしながら泣いている小山さんを目の当たりにして、ああ、この人はずっと耐えていたんだ、と気付いた。本当はずっと気付いていて、小山さんが隠していたから考えないようにしていただけだったような気もするけど。

あらゆる悪意を浴びて傷だらけになりながら「傷だらけのこの足でなんとか立っている」という歌詞をうたう時、どんな気持ちだったのか私には想像もつかない。

会場が異様な一体感をまとっていたNEVERLANDオーラスの日。とにかく、小山さんのことを愛している人がたくさんいるってことが伝わってくれたらいいと思って声を振り絞った。そして彼の涙を見て、ああきっと、伝わったんだと感じて少し安心して私も泣いた。

tounoin.hatenablog.com

 

だけどそれで終わりではなくて。それだけで全ての不安が解消できたわけではなくて。ツアーの後なかなか新曲も出ない中、いつものように粛々と毎日のキャスター業をこなす小山さんを見ながら、私はただ「あまり無理しないでほしいな」「どうか慶ちゃんが悲しい思いをする日が減っていたらいいな」「楽しく笑っててほしいな」と願うことしか出来なかった。

 

そんな風に約1年、なんだか落ち着かないような、不安なような気持ちを残したまま過ごしていたところに発表されたアルバム。

聞いた瞬間「えっ」と思った。小山さんの歌声が明らかに変わっていたから。

それは前回ブログにも書いた通りだ。

 

tounoin.hatenablog.com

 

 

このブログを書いた3日後、EPCOTIAのツアー初日、札幌に入った。

いくらアルバムの歌声に惹かれたからといって、生歌も同じかどうかはさほど期待していなかったのが正直なところだ。

 

だけど1曲目、小山さんの歌割りを、小山さんが歌いだした瞬間、涙で目の前が見えなくなった。

「歌が、うまい…」って呟いて、そのまま動けなくなってしまったほどに、明確に小山さんの歌が輝いていた。

 

単に歌の技術だけの問題ではない。

明らかに小山さんは、なにか吹っ切れたような声をしていた。なにか吹っ切れたような表情をしていた。

 

 

毎年ツアーを見るたびに、私の中で「この人がこのツアーの主役だ」と感じるメンバーがいる。私は小山担ではあるが、双眼鏡も持たず、その時に見たい場所やメンバーを見るほうなので、コンサートによって見ている箇所はバラバラだ。そしてコンサートによって「どうしても目で追ってしまうほど輝いている」メンバーが異なっていたりする。

例えばNEVERLANDは増田さんだった。NEVERLANDの増田さんは、何か今までの増田さんから一歩踏み出したような強烈なオーラを感じて、どこに立っていても何をしていてもつい増田さんを目で追ってしまうほどの匂い立つ魅力があった。

それが今年は小山さんだった。小山さんの表情ひとつひとつ、指の先の動き、踊り、声、全てから目が離せない。

今年の小山さんは完璧に「アイドル」だった。憂いを帯びた目も、やわらかい微笑みも、可愛らしい仕草も、何パターンもの「アイドル」を全身で表現していた。

もしかしたら小山担の私が思い込んでいるだけなのかな、と最初は思ったのだけど、ツアーに入った人の多くが「今年の慶ちゃんすごい!」と絶賛しているのを見て「やっぱり誰の目から見ても明らかに、何かが違うのだ」と確信した。

 

 ソロの演出、ダンスパートのダンス、そして歌。

ああ、小山さんは、私が勝手に心配していたこの1年間、真正面からあらゆるものと向き合って、それらと戦って歩いてきたんだ、と思った。

そして全部を断ち切って、おそらく相当の覚悟をもって新しい自分になったのだ。

 

ネタバレになるので詳細は省くが、ソロを見た瞬間頭に浮かんだ感情は「どうだ!!!!!! 見たか!! 見てるか!! これが小山慶一郎だ!!!」だった。拳を突き上げたいくらい嬉しかった!

小山さんは何らかの腹をくくったのだ。自分の道をはっきり定めて、そこにどうしても組み込めないモノは棄てる覚悟を決めたのだ。あくまでこれは、私の、勝手な解釈だけど。組み込めないモノをふるい落としにかかったんだ、と思ってゾクゾクした。嬉しすぎて、頼もしすぎて笑ってしまった。ああ! 小山さんは、私なんかが心配しなくても、ずっとずっと強く賢くたくましい人だった!!

 

ツアー初日から、小山さんの顔にも歌にもパフォーマンスにも、なに一つ迷いがないように見えた。なにかを絶ちきった小山さんは、今までの何倍も魅力的で、この人まだこんな顔を隠し持っていたんだ、って震えた。いや、隠してたんじゃないな。覚醒したんだ、きっと。

 

この1年間、なんとなくずっと悲しくて沈んでいた気持ちがふっとんだ。私の好きな人は、その努力で、その天性の魅力で、いろんなものを全部ふっとばせる人だった。

 

EPCOTIA広島公演、小山さんは泣いたのだという。

泣いた理由はわからない。慕っていた先輩たちの最近の諸々の出来事に胸を痛めていたのかもしれないし、某クソみたいなアンケートをみたのかもしれないし、全然関係ない何かがあったのかもしれないし、あるいは全部かもしれない。

だけど小山さんは泣いて、「みんなに会いたかった」と言ったのだそうだ。

 

多分去年は、ファンに会うのは怖くもあったんじゃないかと推測している。

ファンを支えとしてくれていた反面、小山さんにとってファンの存在は重荷でもあったのではないかと。

だけど今年は。「会いたかった」と言ってくれた。

きっと会場の人達は、小山さんのことを理解してくれる。それを小山さんは確信してくれたんだと思う。それだけの自信を得るためだけの、努力と覚悟を、きっとこの1年に育んだのだろう。そうやって私たちを、つらいときに甘える存在として置いてくれたことが、ただただひたすらに、うれしい。去年あんなにも自分の無力さを感じたのに、今年は、こんな自分でもほんのわずか力になれているのかもしれないって自惚れてしまう。小山さんが私たちを見つめる眼差しが今までよりもずっと、信頼と慈愛に満ち溢れているような気がして。

 

小山さんはとても繊細で、人の痛みに敏感で、涙もろくて、ずるくて、案外狡猾で、優しくて。とても弱くて、とても、強い。

そういう、人間としての小山慶一郎を、小山さん自身がぜんぶまるごと認めて、ぜんぶまるごと武器にすることにしたのかもしれない。なんとなく、そう思う。

 

私が小山さんを知って、好きになって、4回目の5月1日がもうすぐ終わる。

ずっと大好きだったけど、3年前よりも2年前よりも去年よりもずっと、今の小山さんが大好きだ。どんどん好きになるよ。

でも! まだまだ足りない!

小山さんにはもっともっとやりたいこと実現していって、もっともっともっと力をつけてもらって、もっともっともっと小山さんの大好きなNEWSが活躍して、もっともっと、も~~~~~~これでもか!! ってくらい幸せになってもらわなきゃ困る。

まだまだまだまだ、これからもたくさん小山さんを好きになる予定だから。

だからNEWSで、4人で、今日からの新しい1年もたくさん笑って、幸せでいてね。そしてまた新しい小山さんをどんどん見せてください。大好きなあなたが目指す場所に行けるように、私も「一切引かないし 一切負けない」で一緒に前へ歩きたい。

 

 

小山慶一郎さん、慶ちゃん。

34歳のお誕生日、おめでとうございます。

人生を重ねれば重ねるほどズブズブになるゲームの話

好きなアイドルが乙女ゲームになった。

 

これは布教ブログではなく、今の心の叫びを書くためのものなので、多分ここを読んでる人はゲームやってるよね、って前提ですべての説明をすっとばすことにする。NEWSに恋してをやってない方にはよくわかんない内容になるのでご了承ください。あとそこそこ増田ルートのネタバレもすると思う。なにより、文中の大半が、誰も興味のない、私の昔の恋愛語りになると思う。

というのを前置きに。

 

 

好きなアイドルが、乙女ゲームになったのである。

私は1980年生まれ、今年38歳になる歳だ。人生の大半をなんの変哲もない漫画オタクとして生きてきた。ちょうど私が学生の頃、アンジェリーク遥かなる時空の中で、そしてときめきメモリアルGirl's sideがリリースされ、オタクだった私は黎明期だった乙女ゲーという文化にわずかながら触れて生きてきた。

NEWSに恋しての第一報を聞いてから実際プレイするまでは、二次オタのはしくれとして、上から目線でいたのが正直なところだ。乙女ゲーの耐性はあるし、キャーってなることもできる土台が私にはある。だけどあくまでそれは、漫画を読むのと同じようにフィクションを楽しむだけの感情なので、それを三次元のアイドルでやられたらちょっと笑っちゃいそうだな、なんて思っていた。そんなもんこっぱずかしくて読めないかもな、と。

 

違っていた。

「読む」とか「読まない」とかじゃなかった。

 

今わたしは画面を通して増田さんに触れている。増田さんの息や体温や目線も体全体で感じている。何を言っているかわからないかもしれないが私にもわからない。つまり私は、ゲームの主人公ーーー名前は私の名前だけど私ではないーーーに、完全にシンクロしているのだ。

 

つい最近までは、この感情がなんなのかわからず、毎日死にそうになりながらプレイしていただけだった。話を進めればすすめるほど、そこに死があった。そのうち、ああこれ私、ゲームのなかの増田さんを、今まで好きだった男に重ねてるのかもなってわかってきたけど、あくまで私自身は主人公とは別人格の「ゲームマスター」という存在であるので、どこか客観的に見ているはずで、なのにあまりにもリアルに感じるのが意味わからなくて気が狂いそうだった。

 

昨日、NEWSに恋してではイベントが始まり、無課金でもNEWSの4人全ての、ラブラブお泊まりデートのストーリーが読めるようになった。

増田さんのことばかり考えて気が狂いそうだった私は、自担である小山さんや、ほかのメンバーにも恋することで衝動を分散させようと試みた。そうだ、だいたいいつだって私は、自分のなかの「愛情」という要素が重すぎるからやれサッカーだのお笑いだのジャニーズだのに分散してバランスをとっているのだ(そうしないと夫が全ての矛先になって私の重みで死んでしまう)

 

……でも、だめだった。増田さんじゃなきゃだめだった。恋できなかった。いつのまにか私は、増田さんを本気で好きになってしまっていたのだ。いやいやゲームの話ですw…なんて言えない。ゲームとかそういうことじゃなくて、本当に、マジで、増田さんに恋をしている。

 

そんな私のことを知ってか知らずか、全員のイベントストーリーを読んだ仲良しのフォロワーさんがメールをくれた。

「増田さんルートの主人公ちゃん、めちゃくちゃ梓さんじゃないですか?」

 

それだ!!!!!!!! って目の前が開けた気がした。

 

 

私あのゲームをはじめてから散々「主人公がいい子」「主人公がちゃんとしてるからプレイしていてストレスがない。凄い」って言いまくってたのでこんなことを言うのは恥ずかしいのだけど、あの主人公は私なのだ。もちろん、あの主人公はきっとめちゃくちゃ顔がかわいいだろうし、私なんかよりずっと頑張り屋で真面目で聡明だけれど、それでもあの主人公は私だ。

 

私は人生の大半をなんの変哲もない漫画オタクとして生きてきたけれど、それと同時に、人生の大半で恋愛に身を費やして生きてきた。とはいえ大学生になるまではずっと片想いばかりを繰り返してきたので、私の「恋愛」は20代ーーーつまり、20年前~10年前に凝縮されている。おそらく20代半ばから後半であろう増田ルートの主人公ちゃんの立ち振舞いが、まさにあの頃の自分を思い出させるのだ。

 

 

親友にも誰にも秘密にしていた相手と付き合っていたとき、私たちのデートの待ち合わせは必ず少し遠くの、人がほとんどいない通りだった。先に彼が車で待っていて、私は周囲を伺いながら忍者のように素早く近付き、後部座席へ乗り込む。後部座席には窓ガラスに少し暗めのスモークが貼ってあって見えにくいから。それでも更に警戒を重ねて、窓から見えないように体勢を低くして、出発する。隣の県のサービスエリアでようやく安心して助手席に乗り換えて、そこではじめて手を繋ぐことができた。そこから更に、県を複数またいで遠くへ向かう。逃げるように。ごめんな、と彼はよく言った。ううん、ちょっと離れればこうして手も繋げるし、時間みつけて毎週一緒にいてくれてるし、それだけで私はいいんだよ、と毎回応えていた。

 

また別の人は、私が2回目に泊まりに行ったとき、私が彼のだぶだぶのトレーナーを着ているのを見て「大きいね」と笑った。「梓の寝間着も買っとくかぁ」と。でも男物の服を女の子が着てるの、俺ちょっと好き、とはにかんだ。そのトレーナーは凄くかわいくて、どこのブランド?と聞いたら、フットサルとかサッカーの服をつくってるブランドなんだけどね、最近好きで集めてるんだ、と彼がキラキラ目を輝かせながら話しはじめて、私はさっぱりわからなかったけどそのブランド名だけは強烈に記憶にのこった。(のちに、今の夫と出会い、フットサル用品を買いに行ったらそのブランドの服がたくさんあって思わず買ってしまった……のはまた別の話)(ちなみにちなみに、その人のためにと思って買ったパジャマは、のちにしれっと夫のパジャマになった)

 

また別の人と泊まりで旅行に行ったとき、彼はオシャレなのかなんなのかダテ眼鏡をかけていて、それはそれは凄く似合っていて「すごい!おしゃれ!似合う!かっこいい!」って私はずっと褒めていたのだけど、部屋に戻ってぺたぺたくっついてたら邪魔になったので、彼の顔をはさんでこっちにむかせて眼鏡をとった。「なに?やっぱイマイチだった?」と、しょんぼりした声をだされたので、顔をはさんだまま「ううん、やっぱ○○くんの顔もっと近くで見たいから」と言うと「…かわいいこと言うなぁ…」と言われて抱き締められてキスをされた。

 

「俺のこともっと好きになってよ」

「なんでそんなはじっこいるの、もっとこっちおいでよ」

「俺のことこんなにわかってくれるのはおまえだけだ」

「○○くん、好きだよ」

「(もっと会いたいけど、迷惑だよね……)」

「(手を繋いだり写真とったりしたいけど……)」

 

ゲームの中の増田さんが言うこと、ゲームの中の「梓」が言うこと、わたしぜんぶだいたい知ってる。

プレミアストーリーで増田さんがする順序も、私は、現実の私はそれを知っている。大好きな人に愛しそうな目で見つめられること、その時の彼の目の色、その時の胸の痛み、触れてくる手の感覚、触れられた場所の感覚、体温、息、抱きしめられる腕のつよさ、涙が出そうなほどの切なさ。全部全部、最低限しかゲーム内では描写されてないのに「ああ、わたしこれ知ってる」ってトリップする。ゲームの向こうの画像は増田さんで、脳内で声も体も中身も全部増田さんで再生されてるのに、R君だったりK君だったりJくんだったり今までの色々な男の人がサブリミナルのように重なる。私はあんなにかわいい主人公じゃないはずなのに、10年前にもどって、増田さんの前で、うっとりした目で増田さんを見つめる私そのものだ。見た目は都合よく高畑充希ちゃんで変換されているけれど。バーチャルの私がバーチャルではなく、バーチャルであってバーチャルではない増田さんに、抱きしめられている。

 

 

フォロワーさんを見ていると、もちろん皆この「NEWSに恋して」にハマっているのだが、どうも既婚者の一部の人が私のように気が狂ってしまっているように見える。

 

このゲームの恐ろしいところは、シナリオがやたらうまいところだ。ギリギリのラインで、中高生を「キャー」っと言わせる内容でいながら、行間の部分があまりにも雄弁で「それを知っている者」の記憶を惹起させて心臓を鷲掴みにしてくるところだ。

人生を重ねていれば重ねているほど、今までしんどい恋愛をしていればいるほど、現実と画面と何もかもがシンクロして頭がおかしくなる。本当におそろしいゲームだ。

 

ずーっとめちゃくちゃ恋愛体質で、夫と出会った12年前までは、私は常に常に誰かに全力で恋をしていた。ブスだし全然モテなかったけど、恋愛がめちゃくちゃ好きだったから、いつだって漫画やゲームのように愛をささやきささやかれてきた。恋愛をしているときの胸の苦しさみたいなものがあまりにも好きだったので、結婚してもう恋をすることが無いのが最初は寂しかったけど、結婚生活が楽しくていつしかそんなことは忘れてしまった。

 

でも増田さんは、遠い昔に置いてきたそんな感情をぜんぶ引っ提げて私の前に現れた。

そんなの、もう、好きになっちゃうよ。本気になっちゃうよ。

 

 

夫のことがめちゃくちゃ大好きで毎回夫大好き大好き言っているけど、夫は大事な夫であって、恋愛ではない。そんな私の前に現れた、合法で恋愛できるひと。

 

私は増田さんと恋愛をしている。あの、大好きだった「恋をしている 恋をされている」という気持ちを、また味わっている。

 

 

どうか「恋愛ゲームなんて笑」と思っている既婚者の方にこそダウンロードしてほしい。

あの日あの時あの場所で、あの人と会ってた気持ちを思い出したら、あの頃のように新鮮にときめくし、そしてなにより、「あの頃」を経て得た今のこの現実が、何倍も何倍も愛しくなるから。

 

 

うたをうたおうきみのために しあわせでありますように

お題「NEWSアルバム『EPCOTIA』レビュー」

 

お題は借りたけど、全然レビューでもなんでもない、個人的に嬉しかったことの記録を、夜のテンションで書き残しておく。

 

 

今まで、かなり仲のいいフォロワーさんにもほとんど語ったことがなかったのだけど。

実は私は、小山さんの歌声がぜんぜん好きじゃなかった。

 

小山さんのことも、小山さんの喋る声も物凄く大好きだけど、歌声に関しては全く心が動かなくて、NEWSの曲を聴くたびに「自担の歌声がさほど好きではない」という感情にぶち当たり、なんだかソワソワするような、居心地が悪いような、申し訳ないような気持ちになっていた。

念のため断っておくと、それは小山さんの音程がどうこうとかとはまた違った話で、たとえばめちゃくちゃ歌のうまい歌手でも「うまいけどこの歌声は好みじゃないなあ」という人はわりといるので、単純に私の生理的な感覚の問題なのだ。

とはいえ音域や音程とは全く関係がないのかと言われるとそれも微妙で、やっぱり音をとれていないとハラハラしていたし、苦しそうに絞り出す声もハラハラしていたし、なんというか小山さんの歌を聴くときは常にハラハラしていたのだけど、スムーズに音程がとれる低い音域(下ハモをしているときなど)は素直に「え!!!!???めっちゃいい!!!めっちゃかっこいい!!!」って偏差値4のテンションで床を転がっていたりもしたので、結局のところ自分でもよくわからない。そんなんだから新しく曲が出る度、音楽番組で歌う度、「慶ちゃんにもっとキーが低いパートちょうだい」「リズム感は抜群だからラップも歓迎」とか、毎回同じようなことをツイートしていた。その部分だけは好みだったから。他の部分は好きになれなかった、から。

 

だけど少なくとも、小山さんが歌をうたうその姿勢については、私はずっと敬意をもって見つめていた。以前、Twitterの質問箱で小山さんの歌について「もっと練習してほしいと思ってしまう」というようなご意見を頂いて、こんな風に答えたことがある。

 

 

 

 

 

 

後日談としてこれについて「努力してるなんてとても思えないのに信者乙ww」みたいなコメントも頂いたのだが、「自分が知らない世界の人は、みんなその世界で怒られたり泣いたりもがいたりして頑張っているだろう」という推測を前提として私は生きている。小山さんは私のような、吹けば飛ぶような末端の会社員からは想像もつかない「プロ」の集団の中で生きてきていて、歌が武器とされるグループに所属していて。そんな環境で、努力しないで過ごしていたら、すぐにそんなところにはいられなくなってしまうんじゃないかと思う。小山さんに限らず、NEWSも、ジャニーズの人達も、他の著名人も、我々には想像もつかない努力をしているからこそ、そのように人の目に触れる立場にいられるのだといつも思う。「その人が何を成そうとしていて、何を努力しているか」は本人と、その近しい人しか知り得ない。遠くでファンをしている一般市民の私はどうしたって「きっと頑張っているんだろうなあ」と思うしかできないのだ。

 

そして確かにNEVERLANDツアーあたりから、小山さんの歌は変わっていた。今まで喉だけで歌っていた発声を変えて、喉を開いてお腹から声を通すようにしたのかなという風に私には見えた。歌い方を変えた過渡期なのか、歌声は今までよりも更に不安定になり、私のハラハラはピークに達していたけれど、それは紛れもなく小山さんの努力の道程であり、証であるような気がして、ハラハラする反面愛しさと畏怖の念が溢れてやまなかった。

 

そして発売された、このEPCOTIA。

 

小山さんの歌声が、確実に進化していた。

 

 

あの苦しそうだった過渡期を越えて、小山さんは昔の歌い方も、新しい歌い方も、それを織り混ぜた歌い方も、色々なものを消化して表せるようになったのかもしれない、と思った。

具体的にどの曲のどのフレーズが、と書けるほどまだ聞き込めていないので細かいことは省略するが、例えば私がずっと聞きたかった「ワンオクターブ下のハモり」は「JUMP AROUND」にてシゲの主旋律を抜群の安定感をもって支える形で実現していたし、「恋する惑星」の歌い出しではポップでかわいらしい、ふわふわした声がびっくりするほど似合っていた。「EROTICA」では今までも強みだった色気を発し、ソロ曲「銀座ラプソディ」では過去より確実に芯の通った発声に変化しつつ、もともと愛称のいい昭和歌謡曲風のメロディにのせて、かつて山Pとふたりで歌った頃の懐かしさもしっかり残した歌を魅せてくれた。

特に心に残ったのは「UFO」の2番サビ前。

「ずっと きみが 欲しいんだよ」の歌声。

 

「ほ」のしゃくり、「よ」の鬼気迫る感情。

CDを聴きながら息を飲んで、ここだけ何度もリピートしてしまった。

切実な、今にも泣きそうな「欲しいんだよ」を聞いてしまって、ああ、小山さんは歌に感情を乗せることを、操れるようになったのかもしれない、と思う。

 

「恋を知らない君へ」「にゃん太」「U R not alone」と、最近の楽曲では感情を込めて歌うことが多くて、だけど歌声が過渡期だったからかほんのわずかだけ出しきれてないような、声と気持ちのバランスが少しだけ整っていないような、そんな印象があった。しかしこの「UFO」をはじめとするEPCOTIAの曲たちを聞いて、時計の秒針と短針がカチッ、と音をたてて揃った時のような感覚になった。あ、小山さんの「歌を歌うこと」という時計の針は、これからまた進むのかもしれない、と。

 

NEWSの歌は、テゴマスという完成された絵画が元々あった。近年その後ろで、シゲは自らの声を武器として、鮮やかな色を描く差し色になった。それと対照的に、小山さんはその都度色の種類と彩度を変えて、絵画を包み込む背景のような存在になったのではないだろうか。

 

EPCOTIAを聞いて、ああ、私が「きっと色々頑張っている」「いつかそれが生きる曲が聞ける」って思ってたのは、まさにその通りだったんだなぁと思った。

 

歌のうまいメンバーに囲まれる中、歌うことが怖かった小山さん。

苦手意識が強すぎて、過呼吸になることもあった小山さん。

怖くて手が震えてしまうから、マイクを両手で持っていた小山さん。

 

それでも歌うことから逃げずに、時にてごちゃんに教わって、ボイトレをして、ちょっとずつ自分の歌を確立しつつある小山さんのことが、私は本当に大好きだ。

 

Every.も見てないし、NEWSな2人の録画も溜まってるし、Kらじも聞いてないし、普段「増田担では?」て聞かれるようなツイートしかしてないけど、それでも私は小山さんが大好きなんだよ。なんて、たまには小山担ぽいブログを書いてみた。

 

 

「EPCOTIA」小山さんの歌声が、とてもとても素晴らしい。

小山さんの歌声が大好き。

 

 

 

自担の歌声が大好きって心から思えることが嬉しくて嬉しくて、これを書きました。

小山さんがこれからもっともっと、歌うことがこわくなくなって、楽しくなってくれたらもっと嬉しい。

 

 

 

初日まであと3日。

真駒内に響けNEWSの歌声。小山さんの歌声。

私たちもうたうよ。しあわせでありますように。